ネット環境の無い場所でも閲覧されたい方は、こちらをダウンロードしてご覧ください。
                        

大腸がん闘病記 改め 大腸がん見聞録
私の意識は闘っているわけではないため、タイトルを改めます。
手直し3稿目です。とくに女性読者に大変評判が悪く、できるだけ意見も取り入れて
いるのですが、もはや限界です。悪しからず。
                          続編はこちら→


はじめに
  utsunomia.comは筆者の音楽人生で得た経験を、社会還元するためのコンテンツで
 構成することがコンセプトで、一定以上の私的内容は除外するルールだったのだが、
 まさにコンテンツ充実中に、筆者は自らががんであることが判明してしまった。
 この闘病記は一定以上の私的内容にあたるが、こうなってしまったのも自らの音楽人
 生と無関係ともいえない一面があり、また同様の疾病に苦しむ人々の助けになったり、
 病院に行こうかどうしようか悩んでいる方の後押しになるかもしれないと思い、
 日誌オリジナルに多少の変更を行い(個人の名称などを伏せ、不適切と思われる部分
 を削除し、注釈を入れ、写真などと関連付ける程度)公開することにしました。

  しかし、読めばわかるように常軌を逸したほどの症状放置、医師の忠告などどこ
 吹く風の勝手な行動、これで現在生きているのが不思議なくらいだ。その意味では
 何の参考にもならないだろうし、症状放置は致命的状況にもつながることが普通だ
 ろう。(自分のことは棚上げで、「排便時に血を見たら即座に検査」を強く推奨す
 る。痔の有無も、血が黒いか赤いかも関係ありません。)
 そのあたりを十分考慮して利用いただきたいし、ひょっとしたら新たな治療方法の
 ヒントが潜んでいるかもしれない(ならよいのだが)。また治療・手術からの日が
 浅くこれから深刻な事態に至るのかもしれないが、気力が続く限りは更新をしよう
 と思っています。



★個人データ
  54歳、男性、身長:174cm、体重:64kg(この半年、それ以前は56kg)
 仕事
  音楽家・音楽制作者
 勤務等
  大学など複数の教育・研究機関、音響機材供給会社技術顧問、音楽レーベル等
 趣向品
  タバコ:20本/day、アルコール:28歳以降止める、コーヒー:飲めない
  麻薬・薬物等:趣向無し、
 食事
  原則として、玄米菜食だが、VB不足による症状が出たため、VB群をサプリメント
  で摂取
 主要な既往歴等(免疫に関係ありそうなものを中心に)
  扁桃腺・アデノイド切除:5歳
  虫垂炎による虫垂切除:12歳、
  麻疹:3歳/24歳/30歳/etc,最初に罹患した際に、父親(当時医大に勤務)が同僚
   たちと共同でγグロブリンを米軍基地から取り寄せ使用。劇的に効果があった
   らしいが、そのためか正常に免疫が形成されず、以後何度も罹患することに。
   (当時γGは日本の医療機関には配備されていなかった)
  腎臓結石:18歳~ このおかげで痛みに対する耐久性が向上。一定以上の痛みに
   対して、βエンドルフィンを自在に分泌可。分泌されると眠くなるのが難点。
  偏頭痛:やや慢性的。ひどい場合は、イブプロフェンとアスピリン系をローテー
   ションで使用。イブプロフェン混合剤とは相性が悪いので使用しない。
  HB、HC、HIV抗体陰性、
  破傷風トキソイド接種:13歳、ハブ毒トキソイド(安定持続化)接種:16歳
  (研究者の母親のフィールドワークに同行するため。現在の効力の有無は不明)


☆2010_7、8月にこのところ深刻化した血液混じりの粘液便の問題について、何度も
検査に行こうとするが、様々な都合で結局どこの病院にも行くことはできなかった。
 そもそもこの状態は13年以上前に遡り、当時は排便が血液交じりというだけであっ
た。
あまりにひどいし(汲み取り式トイレだと、下を見ると血の池地獄状態)巨大ポリー
プと直接対面したこともあり、10年前当時話題だった「がん保険」に入る。保険に入
ったせいで心理的に余裕が出たのか(巻末注参照)、おそろしく忙しかったのか不明
だが、その後は放置。
やがて巨大ポリープとも対面しなくなった。今考えてみると、このポリープ、軸の
長さは10cm以上にもなることに・・。標本にするとなかなかのものだったかもしれ
ない。
そしてがん保険が10年目の切り替えにさしかかった。

現在(術前)のような便秘とも下痢ともつかない状態に移行したのは、2009_11月下
旬で、欧州からの帰国後の体調不良から、そのまま移行したかのように思えた。
この体調不良は早い話、腸閉塞の症状で、少なくとも1月には食欲も落ち閉塞しかか
っていたわけだから、進行が遅いのか、私の耐久性が高いのか。そこから急速に養分
吸収率が上がり太ってしまったのも良かったのか悪かったのか。まるで妊娠したかの
ような太り方だった。
また、これまで原因不明で年に数回、39度を超える高熱が出ることがあったが、もし
かすると免疫系ががんと闘っていたのかもしれない。(この発熱に対しても意味があ
るとし、解熱剤などを使用せず「放置」を実施。無論、経過の観察と一定の安静も実
施)


「初診」
9月24日金
 キヨミ(内妻)とY女(門下生・筆者スタジオの管理者)はバイオリンのレッスン
へ。前日、キヨミにはさりげなく保険証を出しておくように伝える。
キヨミにはこのところ「トイレの中が赤いよ」「掃除するの、大変なんだから・・」
と指摘されていたこともあり、その件で病院へ行くと告げる。近くのF病院へ行こう
としていたところ、少し離れたS病院の方が良いのではないかとのキヨミの指摘。

(後日記:このバイオリンの先生がまた問題児で、期を同じくして入院。理由は、左
手が動かなくなるという大問題を2ヶ月も放置。原因は当然のごとく脳梗塞。先生は
中堅の演奏家として著名なのだが、音楽家は放置プレイが得意なようだ。しかしこの
入院のおかげで心筋梗塞も発見された・・。まったく問題に興味がなかったり、無知
であったり、鈍感なわけではない。大抵の場合、そのことに気付いていたりするのだ
が、アーティストの多くはそのプレッシャーを演奏や創作のエネルギーに変換する傾
向がある。別の言い方をすればプレッシャーは貴重なエネルギー源の一つだったりす
る。プレッシャー自体はストレスではない。でもそのあたりを医師に説明すると逆鱗
に触れてしまうので、説明は止めた方がよいようだ。
***巻末注:音楽家の死生観を参照)

 自転車でS病院へ。最初の担当はI医師(消化器内科)。問診で上記の「経緯」を説
明したところ、徹底的に叱られる。叱られないわけが無い。当たり前だ。自分が医師
なら診療拒否するかもしれない。確信犯だからだ。医師が言うには、悪性腫瘍なら
とっくに死んでいるとのこと。
余命宣告で言うなら「負の値」なわけだ。少ない正の値(例えば余命6ヶ月のような)
よりも爽やかだ。巨大ポリープ遭遇・確認の詳細報告したときなどは、医師の口は半
開きであきれ果てていた。
内視鏡検査に備え、血液、レントゲン、心電図などを採取される。大腸内視鏡検査
を10月4日に決定し、病院を後にする。早くに取れるよう配慮してもらえたらしい。

(注、私は人の顔の認識が極めて弱く、視力に例えるなら0.01ほどもない。ろくに記
憶もできない。したがって最初に怒られた医師が消化器内科のI医師だったのか、執
刀していただく消化器外科のK医師だったのか判然としないが、おそらくI医師。)

(後日記:この日のCEA値=腫瘍マーカは30.3ng/mlだった。ちなみに10月4日CA19-9は
19U/ml。S病院で採用している検査方法(おそらくZ-ゲル展開法)での基準値は
CEA:0~5ng/ml、CA19-9:0~37U/ml、で、この基準値は検査方法によってやや異なる
ので、比較する場合は注意。単純には20ng/ml以上ではがんがあり、既に転移している
ことが疑われる。私の腫瘍ではどの程度数値に反映するのだろう。腫瘍マーカは絶対
的な指標にはならないらしいが、腫瘍の規模との相対的な関連はあるので、術後にこ
の数値が大幅に減っていれば、一定の効果があったと評価できる)


9月27日月
 技術顧問として勤務している会社、某芸術大学、某専門学校はじめとする主要な仕
事先に10月第一週からの欠勤を告げる。病状の確定は当分先だが、とりあえず2週程
度なのではないかという予測でスケジュールを組む。


「大腸内視鏡検査前日」
10月3日日

 指示されたとおり21時までに最後の食事を行い、21時には下剤ラキソベロンをコッ
プ一杯の水で服用する。
服用したところ、効果が表れたのは6時間後の翌朝3時で、腹部に切迫感のある猛烈な
排便要求痛があり、収まったのは翌朝6時前であった。出してから考えてみると、こ
の下剤の処方はかなり危険だったのかもしれない。本格的に閉塞していたら、腸管破
裂していたかもしれない。しかし全部出てしまえばすっきりだ。


「大腸内視鏡検査~腫瘍発覚~入院準備」
10月4日月 絶食+1

 8時30分に受付をしなければならない。
受付後、内科外来、その後7階の内視鏡センターへ。大腸内視鏡は23歳の女性患者が
もう一人いる。
問診表を記入し、おだやかな下剤(大腸洗浄剤)「ニフレック」を2リッターの水とと
もに・・・中々飲めるわけない。排便したブツを看護士に見てもらい、合否を判定し
てもらうという日常ではありえないシステム。階段昇降などの運動を併用し、排便し
ようとするが、最初の1時間半は有意な排便は無い。その後徐々に出て、12時前に女
性よりも先に、やっと合格。
その後穴あきパンツに着替えて、検査台に左向きに横たわる。横たわったところで鎮
静剤を静注、あっという間に意識不明に陥る。何が行われたのか全くわからないま
ま、検査は終わり、起こされるが、意識レベルは認識ぎりぎり。やはり父親と同じよ
うに、鎮静剤には過敏なようだ。女性は「痛い」を連発している。意識不明+閉塞は
ラッキーだったのか。
 検査後、K医師から「肛門から15~16cmのところにスコープが通過できない閉塞
が、大きな腫瘍により起こっている」ことを告げられる。ポリープだらけだろうとい
う私の予想は外れた(実際には巨大な腫瘍)が、閉塞が起こっていることは正しかっ
た。

 内視鏡で撮影した患部の写真をプリントアウトしたものが貰える。終了時間の欄に
12時30分と印字されている。各画像に印字されている撮影時間から見ると、始まって
から1分で前進不能になり、6分程度で終了したことが見て取れる。
この8枚の写真、誰が見ても相当に悪いことは一目瞭然だろう。まるで小石を積み
上げた「壁」だ。小学生が学期末にもらう通知簿を受け取るような気分だ。

 7階の内視鏡から、1階の内科外来に戻り、追加の血液採取、CT、レントゲン、心電
図を取る。どうやら今日は帰宅できそうだ。内視鏡ではサンプルを採取しただけでポ
リープ切除は全くないからだ。そして翌日入院が決定。手術日を13日(水)に決定。
それまで絶食。おそらくは手術後も絶食。
失礼を承知で、K医師に手術の自信のほどを伺う。クールな対応の医師なのだが、こ
のときは、「自信があるから部長もやっている!」との熱い反応。委ねても大丈夫そ
うに思えた。
CTの結果、患部の大きさは、女性の手の握りこぶし大ほどもあるそうだ。

 会計で25800円の支払いを請求されたが、15000円しか持っていなかったので、残金
は翌日払いにしてもらう。

帰宅後、大変気まずい空気に。当たり前だが、実務上の連絡や依頼などに追われる。
結局がんらしいことは誰にも言えないし、言う必要も無い。問題はキヨミだろう。申
し開きようがない。タカラ(雌猫1.3歳左手欠損)が近寄ってこない。イヤな匂いがす
るのだろう。

入院と手術が確定し、およそのスケジュールが決まったので、その間退屈せずにすご
せるように装備品を準備する。
インフォームなどはすべて録音できるように
○録音機を用意するが、丁度メーカーから新型のデモ機(ZOOM社H1)を借用している
ので、それを使用(巻末注:録音等)。 何かと記録を撮るのに
○デジカメは必携なのだが、高価なものは盗難などのリスクもないわけではないので、
安価で中古購入したコニカミノルタZ3(高ズーム比、動画に優れる)のセット(でき
るだけ小型のものが良いのだが)、これらの
○データ処理と、日誌などの作成にノートPC持ち出しセット(NEC_VY10F+医療データ
ベース+ユニバーサルデータベース+自己修復キットモジュール、周辺アクセサリキッ
ト#2モジュール)。リストアップすると大仰だが、本体+本体用電源+USBメモリー3
本+2.5インチHDD X1台+小さなポーチ1つ。
入院する病院は地元の高台にある高層ビルで、大変眺めが良いので
○小型単眼鏡(6X16)、
○テレビは有料なので、PCで視聴できるようにワンセグチューナーとヘッドホン。
いざと言うときの
○手元灯り(懐中電灯GT-10AA改、詳しい仕様は「LEDライト考」参照)、
○腕時計。
○携帯電話などの充電にも対応できる変換ケーブル。
などをパッキングし、
☆通常の入院セット(入院の手引きに書かれている)とともに準備。ピクニックでは
ないが、快適な入院生活を送るにはある程度の準備は必要だろう。あまり目立たない
ことが肝要だ。また、普段読みたくてもその時間のなかった書籍(これが大きく重い)
などもよいだろう。これ以外にも何点か持ち込んだが、それらは実際には使用しなか
ったので、ここでは省略。

今回の入院はある意味、死生観を含め13年越しの集大成なので、医療に対して一方的
に受身ではいたくない。それにがんに対して医療は勝利しているとは言い難いし、も
ちろん私のように巨大化した腫瘍をかかえていて(飼育していて)閉塞の危機にある
場合、外科的に切除することは避けがたいことなのだが、最終的には肉体の免疫系の
力で克服することが最も有効なのなら、これまで同様にその姿勢を崩すべきではない
と強く信じている。この13年死ななかったことは実績と考えたい。




普段からネット環境が必要な人は、そのセットもあると良いかもしれないが、
入院の手引きによると、インターネットアクセスは遠慮してほしいとの記述がある。
(私は自宅でもネット環境を持っておらず、まわりからは「どういうこと?」と冷た
い対応をされているが、この入院を期にネット中毒に引き入れようとしてなのか、
お見舞い品がやたらと「強力アンテナ」であったり「クラッカー」だったりする。
中には自分のWiMAXアダプタを貸してくれようという方もいるのだが・・。もちろん
辞退する。)
おかげで退屈はせずにすんだし、余計なことを考える暇もなかった。utsunomia.com
のコンテンツ原稿は予想通り全く執筆できなかったが、この闘病記の1次原稿は書く
ことができた。このテキストはその1次原稿をもとにアレンジしたもの。


「胃内視鏡検査~入院」
10月5日火 絶食+2
 
 10時前に出たため、病院に早くに着いたが、現金を持ってくるのを忘れたため、
一度帰宅する。11時前に1階内科外来から7階内視鏡室へ。今日は胃カメラだ。昨日
と違い問診表記入から内服消泡剤と咽頭麻酔シロップを凍らせたものを舐め溶かせ
る。
昨日の鎮静剤による意識不明があったので、本日は鎮静剤を止めてもらう。そのせ
いもあり、相当ワイルドな感覚だった。込み上げる吐き気を感じている自分が切な
い。(注釈:切ないのは、生きていることを強く自覚できるからで・・)
 胃には小さなポリープがわずかに(2つ)あるだけで、一つを引き抜きサンプリ
ング。ディスプレイに映し出される自分の食道や胃が興味深い。結構美しいようで、
大事には至っていないようだ。胃のポートレートはすぐにプリントアウトされ手渡
される。

 その後入院手続き。本来は7階らしいが、空きが無いため、925号室(4人部屋9階)
になる。17時過ぎにK医師からキヨミ同伴で1時間以上かけて病状説明。何が何でも
点滴が必須らしい。何度説明を受けても、それが病院のルールであるらしいこと以
外に、私が理解できる合理的な説明は無かった。(後日判明したことだが、この輸液
にはいくつかの薬剤が混合されていたようだった。そのせいか飲み薬は退院まで一
度も出てこなかった・・最初からそう説明してくれればいいのに)
私は適度に運動し、免疫と精神的コンディションの維持がしたいだけなのだが。
適度な運動をしたい根拠は、一定レベルの運動を行うと閉塞が緩和し便が流れ、一
時的であっても状況が改善できることが現在の状況なのだが、医師的には、そもそも
痛くなったので受診したのだろうという思い込みと、万一患部閉塞部分の破裂は緊急
開腹となり、人工肛門となることの危惧があったからなのではと思う。
医療のセオリーとして、入院患者の負荷は検査や治療などの医療行為以外、すべて
取り除こうということなのだが、免疫系の維持に対しては常に適切な負荷をかけて
おくべきと私は考えている。精神面はもちろん、肉体的にも運動量、温度、代謝など
だが、絶食は○、温度は空調のおかげで快適そのものなので△、運動量を確保する
ことが今すべきことなのだ。無負荷は相当に不健康と思う。

腫瘍本体は5cmX8cmくらいと、かなり大きいようだ。
今日のインフォームによると、明日から手術日(来週の水曜)まで、治療らしきもの
は原則として何も無いのだそうだ(その間は絶食で、胃腸などの臓器を休めることが
手術へのコンディショニング)。この暇は耐え難いことだが、そんなときのための
「装備品」だ。
○ID 3053XXXX
入院とともに腕に樹脂製のバーコードの入った個人識別バンドを付けられる。これに
は個人のID番号がふってあり、投薬や手術の間違い(!)が無いように、すべての
場面(でもなかったりするが)でバーコードリーダーで読み取り、照合を行ってい
る。
PCにUSB接続するバーコードリーダーなのだが、看護士さんたちは慣れているはずな
のに、しばしば接続が外れていたり、ソフトが認識しなかったりと、彼女たちの負担
の一つになっているようにも見える。何とかしてあげたいなんて思ったりする。



「精神的動揺」
10月6日水 絶食+3

 夕べはうまく21時すぎに眠ることができたが、当然のことながら何度も目覚める。
予想よりは眠れた。起床は6時、その後ごろごろし、8時に起きだす。AR(友人の
ドラマー兼歯科医)からキヨミに連絡がつかない旨、電話がある(この病院では原則
として携帯電話の使用制限は無い。エチケットとして電話会話はデイルームで行う程
度。ナースコールもナースの携帯電話を鳴らす仕組み(おそらく構内ホン)になって
いるし、高度に無線LAN化されたシステムで管理されている・・電磁波だらけのよう
だ)。逆に、見舞いの花束や鉢植えは衛生上の問題から一切禁止。
10時前にK医師が来て、セカンドオピニオンのことについて「お願い」される。はじ
めて腹を触診(あまり触らないところが外科的なのか?)。
(注 正直なところ様々な出来事で混乱し、冷静な判断ができず、ARに救援要請の
電話をしてしまったことが全ての発端だ。話は一人歩きし、自分の中でもいつのま
にやら「転院」の2文字が点滅していたのだが、ARもそんな私によくつきあってく
れて、自分の従兄弟の消化器外科医に相談までしてくれた)

そういえば輸液がポカリ(ポカリスエットと同成分。退院後に判明したことだが、プ
リンペラン(消化管運動改善剤)が混入してあったようだ)からビーフリードに変わ
る。ビーフリードはいくつかのビタミンとアミノ酸を添加した輸液なのだが、ポカリ
(KN3)とちがい注入部分周辺がかなり痛くなる。
9時半の便は血液が全く見えず、胆汁のみの鮮やかな黄緑。どれだけ見ても赤はなし。
10時過ぎには元の赤に戻る。
10時過ぎ、交代した看護士に告げてから、階段降昇する。輸液スタンドを片手で持ち
上げ、下りはとても楽ちん。昇りは結構つらいかと思ったら、中途で一回立ち止まっ
たのみで、楽勝。息もほとんど上がらない。体重が軽くなっているのかもしれない。
弱ってくればこんなことできないのだろうと思うと、切ない。ベッドに戻ってから、
汗が噴出する。もう少し持続した中負荷を見つけないと、階段昇降は短時間すぎる
し、あと数日もすると重負荷すぎるだろう。しかし運動後は腹腔を含めとても気持ち
いい。
しかしこの階段昇降も必死で嘆願の成果で、病院としては止めて欲しいようだ・・。

 なんと階段昇降が問題だったのか、すぐさま「危険度1 転倒・転落の可能性のあ
る状態」の判定書なるものが届く。もちろん何の根拠も無い判定だ。判定を無視する
場合には「最小限の抑制」を実施するのだとか。ああおそろしや。
後ほど発行した側の言い分として、入院患者全員に配布するものとの説明はあった
が・・。
12時45分排便、出血なし胆汁と粘液とモロモロ。このまま患部組織が崩壊し、ど
っさり出てくればいいのに・・。
13時02分 輸液交換、再度KN3号500ml(ポカリ)に戻る。病院を訪ねる前に、一度
断食してみるべきだったと反省。少なくとも帰国後ずっと続いていた、胸焼けのよ
うな不快感がなくなり、問題のあるS字結腸あたりに「ここにあるぞ!」という感覚
がクリアーに伝わる。しかし、これはサンプル採取時に結構傷つけたからなのかも
しれない。感覚はそんな感じだ。
14時20分、K医師が様子を見に来る。
14時45分、看護士さんに、患者判定プリントについて苦情を申し入れる。
注意喚起しなければならないことは理解できるが、若い患者にとっては気落ちを加
速することにしかならないし、第一失礼だろう。病人をより病人にしてどうする。
この病室に来て初めてワンセグテレビでニュースを見る。ノーベル化学賞に2人の
日本人! テレビカードなんか買うものか。
気分は手負いの野生動物だ。

○入籍準備
KT君に婚姻届の見届け人欄を記入してもらうために、キヨミに会社へ行ってもら
う。キヨミとの関係は23年に及ぶが、仕事上の問題から入籍しておらず、内縁状
態だった。しかし今回の問題が予想よりも深刻だった場合、様々な手続きや相続を
行うのに正式な配偶者である必要から、手術前に入籍しておくことにしたものだ。
それに回復してもこれまでどおりに仕事はできないだろうし。
書類を届けに行った後即座に帰ってきて、20時過ぎには会社の様子を聞くことがで
きた。20時40分ころキヨミ帰る。
今日午後、キヨミは高貴寺(高貴寺ザライブの舞台。筆者は出入り禁止処分)に行
ってみたそうだ。そもそもは長らく借用していた書籍の返却に行ったらしいのだが、
境内は随分荒れ果てているそう。代がわりしたのか、調子悪いのか。人の気配は母
屋の方にのみあったらしいが、誰にも会わず。
21時ころの排便は胆汁のみ。排便の間隔は徐々に開いてきたように思う。出血が減り
胆汁が増え、間隔が開くのは、状態がいく分マシになっているということか。

ARから電話。従兄弟の専門医からのアドバイスをもらう。セカンドオピニオン以
前に、緊急避難的手術であり、そのことをまず感謝すべきとのこと。全くその通り
だ。言えるのはせいぜい保存的処置でお願いすることくらい・・・。こんなことが
自分にとって大きな励ましになる、、って、私は構って欲しいだけなのか?

T学科長(筆者勤務の専門学校・大学の同期)からも問い合わせの電話があった
し、明日は芸大の2回生の目玉の授業だ。うまく状況を説明してもらえるのだろう
か。


「同意書」
10月7日木 絶食+4

 起床は6時。夕べは2回のみ排便。1回は胆汁、2回目(朝)は血便。今日も8時くら
いまではぐだぐだしよう。
9時胆汁便。初の髭剃り。水1本目2リッターが無くなる。入院患者にはお茶の配給
サービスがあるのだが、食習慣として4月ころまでは日本茶を好んで飲んでいたの
だが、病状悪化のためか、ある日突然飲めなくなり、以後はミネラルウォーターの
愛飲者に改宗したもの。
11時10分、少し運動をする。B1~7Fまでスタンド付き。7F~9Fはエレベータで。
病院スタッフ何人かとすれ違ったが、報告されるのかな。
絶食4日目で、多少ふらつくような気もするが、随分調子は良い。この半年の備蓄
がすごいのか。夜の眠りが浅いせいか、ときに急に眠くなる。それよりも視力の低
下の方が深刻。結腸の問題が何とかなったら、眼科にいかねば・・・。
朝2番はビーフリード、これが終わったら右手の輸液針を抜いて、シャワーを浴び、
リラックス。その後、針の位置を左手に変え、手の甲が当たらないよう位置を上げ
てもらう。次はポカリ。男性看護士君。女性に比べ、なんとなく頑張る意欲のよう
なものが感じられるのはどうしたものか。彼がとくに手際いいわけではないのだが
(止血バンド置き忘れていったし・・・止血バンドを忘れていく看護士は多い)。

17時ころ、手術当日担当の麻酔医が同意書を持って説明に来る。ムンクの絵に描い
たような麻酔医だ。パンダの二の舞はイヤだとダダをこねておく。また、深度は浅
めに加減いただくようにお願いする。(先日パンダが麻酔事故で死亡するという事
件が起こったばかりだったので)
この病院のサイトには各診療科の個別ページがあり、麻酔科の説明には、飛行機の
パイロットに例えた解説があり、わかりやすい。しかし実際の医師を見ていると、
どうみてもパイロットというより、ヨガの導師さまだ。どちらも飛んでって、安全
に帰ってくることに変わりはないのだが。また見た目、どの麻酔医もムンクっぽい
というのも、職種が風貌や人格をつくる部分があるのかもしれない。音楽に関わる
人もその傾向は強いし、とくに演奏家の場合は楽器により顕著だ。

(後日記:退院してからも、たまにネットで病院めぐりするようになった。ときに
S病院のように、診療科毎の解説があるのだが、大抵は「当診療科の成績」や導入さ
れている装置、せいぜい職務の心構えなのだが、麻酔科はおもしろい。
手術室で、予定通りオペが進まず、イラつく執刀医をなだめるのも麻酔医の重要な
仕事なのだとか。また、本来の麻酔管理よりも外科系医師のお相手の方が大変なの
だとも。
患者の立場で考えると、大変興味深い。自分の場合に当てはめてみると、K医師
と導師さま。この性格の違いの集積で手術というプログラムが進行しているのかと
思うと、できることなら、眺めてみたいものだ。がんばれ導師さま!!
レコーディングスタジオでも、異様な性格の激突という点では、似たようなものな
のだが・・・完成した楽曲からは想像も付かないと思う)

 明日の予定に、「診療予約 消化器内科 I医師」とある。 そうか、内科から
外科に渡されたんだった。この予約は有効なのだろうか(と思っていたらやはり無
効でした)。I医師はよくわからないが、K医師は明確に外科的性格に思えてきた。
どこかでBJへの憧れがあるような気もする。CTの3D画像を見ながら患部の状態を
語るときなど、ときに目が財前先生(田宮次郎版)だ。手が「ああ切って、こう繋
いで・・」のようにかすかに動いている。BGMにはタンホイザー・マーチが鳴り響い
ている。なのでこちらとしては「自信の程は」と訊ねてしまうのだ。

(後日記;外科的と書いたが、どうも今ひとつしっくりこなかった。退院後連日
そのことを考えていたが、「大工の親方」というのが一番しっくり来るように思え
る。ちょっとせっかちで、口数少なく、気質が職人的なのだ。専門職として職人
さんは大好きです。物語の中で財前先生は、外科医として余計な事に関心を奪わ
れてしまったことが墜落の原因だが、K医師にはそんな邪念は感じられない。いや
真っ直ぐに自分の目標を追うがあまりにか、インフォームなどでも、しばしば説
明や解説ではなく、自分の予習や確認に終始している。個人的にはつまらない話術
ではぐらかされるよりはるかに好感がもてる。ちなみに、うさんくさい財前タイプ
(大抵はそこまでの実力は伴っていないが)はどこの大学にもいるものだ。そんな
ヤツもいない学部は死に行く運命だったりする)

○絶食の影響~モールス信号
昨日あたりから、口の中、歯茎、目の粘膜に違和感。唇も剥けた。ビタミン、蛋
白不足か。T学科長から問い合わせメール。腫瘍であることと、術後数日までは見
舞いに来ないよう伝える。
18時すぎ、キヨミから家を出発する旨のメール。ライトを振ってくれたのかな。
18時20分キヨミ到着。お湯入り魔法瓶、モンダミン等価品、水、新ゴーセン#10を
差し入れてくれる。また舌の表面のざらざらに毛が生えたようになっている。こ
れが舌苔というものなのか。グリコからBREOが発売されていたことを思い出し、
買ってきてもらう。
キヨミ2度目は自転車で来る。
BREOは1粒できれいさっぱり舌苔らしきものがとれる。さすがだ。
夜勤の男子看護士君、あたふたで、かつての友人の一人を思い出す。
面白くしようと頑張っている。手際はかなり悪い。結果的に処置待ちの患者の列・
・。
面白くする前に手順をよく考えて・・・。

麻酔の手引書+同意書、輸血同意書、血液製剤使用するかも同意書、手術同意書
を記入。キヨミが帰りに家の前の橋の欄干のところで、懐中電灯で合図すると
いう。向こうからの光りは見えないが、こちらからの光りは肉眼でよく見えるよ
うだ。その後帰宅直後に、KNちゃん(近所の小学生)が星座のことで質問に来たら
しいのだが、KNちゃんも光通信あそびに巻き込まれ、よく見えたそう。これを期
にカナ・モールスを覚え直すか・・。
(入院した病院は家から直線距離で2300mの高台の上にある高層ビルで、家そのも
のからは陰になっていて見えないが、家から10mほど歩いたところから大変よく見
えるのだ)光りの点滅が見えるというだけで、お互いにうれしく、またわくわく
するものだ。そこに意思が詰め込まれているからだろう。しかし光通信の前にメ
ールしなくてはならないのは、なんと非効率的な通信なんだろう。

  


「あずまや(オアシス)の発見~病院探索」
10月8日金 絶食+5

 夕べは21時、23時40分、24時20分、4時ころ、起床後7時40分、これら全て激し
い下血。胆汁便はどこへ行った。閉塞しているのか。
9時0分、胆汁便。胆汁便は患部以前からの由来なので、出血とは感覚的に違うは
ずなのだが、微妙な違いがあるのかないのかよくわからない。
昨夜はかなりにぎやかだった。キヨミを見送り後に、エレベーターで乗り合わせ
た見舞い人(9時前だったので、一般見舞いでは無いと思っていた)が、「今夜が
山らしいとの知らせで来た」と語ってくれた。見舞い先は99歳なのだそう。思わ
ず「スバラシイ」と言ってしまったが、失礼な言い草だ。おそらく、その「山」
だったのだろう。でもすばらしいじゃないか。
9時40分K医師回診。ビタミン不足を訴えるが、「使えない」の一言で却下。いたし
方あるまい。
今日の午後、9Fから7F外科病棟に移るのだそう。また窓際だといいな、という期
待もむなしく廊下側だった。(4人部屋で、2床が窓側、残り2床が廊下側)
引越し時にちょうどキヨミとY女が到着。

デイルームで過ごしているとK医師。サンプル生検の結果はやはり悪性だったそ
うだ。やはりもう死んでるわけだ。生きてるのは余程運がいいのか、特異な体質
なのか。K医師に切除する患部などの摘出物を貰えないか交渉するが、拒絶され
る。私の一族は生物学系の研究者が多く、実家の研究室標本棚には2000点以上の
専門分野の標本に混ざって、一族の摘出物の標本もいくつかある(私の盲腸も)。
研究者たちが集まり、専門分野の話が一段落し、病気の話などに及ぶと、だれそ
れは十二指腸を貰っただの、あいつは胆嚢貰っただので盛り上がる。標本の美し
さと希少さと交渉力を競うのだ。母親の葬儀のときは悲惨だった。火葬後の骨揚
げのおり、母の焼けた骨に混ざって大腿部から股関節にかけて入っていた、真っ
赤に焼けたチタン製人工関節の残骸がひときわ目を引いていたが、一同の遠慮に
満ちた視線の中、「お前は何をやってるんだ」とばかりに一人の研究者がやおら
ハンカチに花瓶の水をひたし私に渡すではないか。それで箸を補助に直接拾うハ
メに。もちろん火葬場の係員が目を離した隙のことだ。喪主に花を持たせていた
だいたわけだ。得がたい標的を逃さないことこそ供養というわけか。喪主の右の
ポケットからもうもうと水蒸気が立ち上るなか、骨揚げは終了。このときにはす
っかり遅れをとってしまった。
その習慣から申し出たのだが、仲間入りはできなかった。どうせ私は音楽家だ
し、仲間入りの必要はないか・・。貰えなかったことは黙っておこう。



3人でB1から外へ出てみる。裏庭とあずまやが。あずまやには喫煙所が。でも喫煙
したくはならない。食事時にいいにおいがしても食事したくはならない。今の状態
は空腹なはずなのに、どうしようもないほどのはずなのに、その感覚が無いのは
どういうわけだろう。
午後は3回排便だが下血なし、胆汁無し。一体何が出ているのだろう。
このトラブルから立ち直ったら、おいしいものを食べたくなるのだろうか。
キヨミとY女は19時過ぎに帰宅。入れ違いにKT君(門下生)が来る。デイルーム
でゆっくり話していく。20時半ごろ帰る。彼が来たのは予想外だったので、どのよ
うに対応すればよいのか困る。例の違法無線LANを持ってきてくれたが、そんなも
のを病院で使用するなどいかがなものか。とりあえずキー無しのインフラ局を後日
探してみよう。

(後日記:正直なところ、この日までは医師に対しても病院に対しても、不信な
印象で一杯だった。原因はコミュニケーション不足、情報不足、病人としての孤独
などだが、これが寛解していったのは、あずまや(おそらく場所は無関係)で他の
患者さんと話せた事が大きかった。病人としての孤独がこんなに深刻とは思っても
みなかった。この闘病記を公表しようと考えた理由のひとつだ。患者と医師との信
頼関係は、免疫にとっても非常に重要だ。何とか手術までには信頼は確保したいも
のだが、もちろんおかしな挙動や散漫な態度は見逃してはならない。医師も人間な
ので、時にはコンディションが悪いこともあるかもしれないし、相性の問題もある
かもしれない。入院中はどうせ暇なのだから、せいぜい観察に精を出すべきだろう。
その中で信頼が厚くなることも、その逆もありうる。)


10月9日土 絶食+6
       胆汁 血液
 昨晩10時50分 X   X
  翌 1時30分 X    X 
    4時50分 △   X
    6時50分 X   △   36.4℃ 56.8Kg
 8時半までゴーセンを読む。
9Fに比べ7Fは大変静かだ。消燈後までテレビ見てる人もいるようだが、静かだ。
トイレが遠くなった。

昨晩、建物自体が煙突構造で、外壁から中心に向かい、圧力傾斜が付けられている
ことを発見(フロア単位で調整できるようだ)。また南北に従い温度傾斜があるこ
とも発見(これは自然にできてしまったもののよう)。また、病院建物が築数年と
いうこともあってか、非常にきれいで、掃除などの保守手入れもまめに行われてい
る。天井も高い。様々な意味(良い部分も悪い部分も含め)で、未来志向にも思え
る。とりあえず環境としては衛生的で、入院生活はおおむね快適ではある。
今回の私の疾患では、随分とトイレ(便器)のお世話になるのだが、ここのトイレ、
普通のTOTO製の洋式便器に見えるが実際に流してみると、流れるのではなく、
スポッと吸い込まれて行くではないか。一体どうなっているのだろう。ニュアンス
としては新幹線N700系に搭載の便器に似ている。
この病院はPC導入が進んでいるが、USBメモリーは一切使用しないようだ。
Autorun.infを使用するウィルスでひどい目にでもあったのだろうか。無線LANで結
ばれ、カルテや資料などをファイル共有しているようだ。看護士に質問しても要を
得ない。

  

やっと体重は下がり始めたようだ。昨日まではさっぱり変化が無かったが、今朝
計ってみると、明らかに落ちているようだ。
昨日は来客が多く、そのせいか水分摂取量が1リッターを超えていたようだ。
上記の便通は、そのせいなのかも。しかし摂取水分が多いと胆汁は減るのだろうか。
それとも解体される赤血球代謝が減ると胆汁は減るのか?それって貧血か?
12時40分 ○  △
昼過ぎ、にぎやかな看護士さんが来て、手術前の手引きと呼吸法について説明。
音楽家はみんな意識的腹式呼吸は得意だ。得意で無い奴はもぐりだ。
17時20分 X  ○
22時03分 X  ○
キヨミが合羽を着て自転車で来た。古いので合羽の内張りゴムがボロボロで、脱
いだところにゴムの破片がばらばらと落ちている。体重が減少し始めたので階段
昇降は控えてみる。
キヨミとあずまやへ行ってみる。一応あずまやも敷地内のようだ(と思っていた
が実は病院敷地ではなく関連施設敷地のようで、厳密にはあずまやへの立ち入り
は病院外への「外出」になるようだ)。キヨミが喫煙しているのを見ても、喫煙し
たい欲求はあまりわかない。自分のタバコを持ってきていれば「吸ってみたくなる」
のかもしれないが、よく言う禁断症状は、いつどれくらいの強さでやってくるの
だろう。



今日はずっと雨降りで、しかもだんじりが出ているので、キヨミが帰りにすべっ
て転倒しなければよいのだが。帰りに釣具屋で新しい合羽を買うそう。
(だんじりとは神輿に車輪を付けたような物。岸和田のだんじりは有名)
11時ころまで、ワンセグでTVを見ていた。もちろん楽しめない。


「ビタミン効果?」
10月10日日 絶食+7

3時過ぎ  ?  ?
5時40分  △  △
7時20分  △  ○
9時0分   △  ○

10時51分  △  X
14時40分  △  ○
17時40分  ◎  △ 2回 (ビタミンドリンク後)
22時40分  ○  △

さすがに、養分備蓄が切れ始めているのか、少々息切れがする。やや貧血っぽい
し目まいもあるようなないような。血糖値も低めなのか、読書にも身が入らない。
少し読み、少し考えると、すぐに眠くなる。読むのを休憩すると、目が覚める。
夜もちゃんと眠れていないのかもしれない。
違法アンテナの設定とインストールをするが、そのまま接続できそうなネットは
少し遠いようだ。近くのは入れないし、クラックはしたくないし、最初から入院
したら通信できなくなることは覚悟の上だし。

今日はやや早めにキヨミが来てくれる。晴れててよかった。本などを差し入れし
てくれる。早々にあずまやへ。あずまやではいろんな人がやってくるし、話が聞
けて楽しい。6階の頚椎脊椎圧迫損傷の方。話を聞けば聞くほど励まされる。当
初は首から下がまったく感覚もなく動かすこともできなかったものが、現在はリ
ハビリの成果で左手足はほとんど自由に使えるまでに回復。そんなひどいダメー
ジからよくもそこまで回復しましたね。同部屋の大腸がん、胃がんの人とも知り
合う。
あずまやを訪れる人が、全員喫煙目的というわけではないことも判明。携帯電話
のみで、暇に任せて一晩で病院のセキュリティーを突破し、自分のカルテを閲覧
したという患者さんの話など。
その後一旦7Fデイルームに上がり、ダカラのレモンを少し飲む。体がどうしても
ビタミンなどを欲している。すばらしい効果だ。十数分で口の中の血の匂いが治
まる。(一応、看護士さんはダカラは可との見解だったが)
17時過ぎに排便に行くが、滞っていた胆汁などの上流起源のブツが大量に出てき
た。たいへんすっきり。
今日は運動量も元に戻す。ビタミンドリンクすごい。体重落ちているのかと思っ
たら、そうでもないようだ。

その後また、あずまやでくつろぐ。少々風が強いが、とてもよい気分だ。
暗くなったので7Fデイルームに戻る。キヨミが婚姻届を記入しようとするが、本
籍などが詳しくわからないまま記入しようとしている。結局わからないことだら
けなので、一旦持って帰り、薄く下書きすることに。
駐輪場の金木犀が満開でとてもいいにおいだ。トイレのにおいと言う奴もいるが、
私はこのにおいは好きだ。


明日の月曜日は、このだらだらした毎日の最後の日だ。火曜日は準備に、さらに
下剤。


10月11日月 絶食+8
5時半起床。点滴輸液の交換に合わせて、針の交換(本当は10月10日の交換日付が
入っている・・)の合間に、入浴をする。入浴前にこっそり階段昇降と排便。階
段昇降は手ぶらなので、あまりに軽い。息切れも発汗も無い。足が少しだるいだけ
だ。しかし、燃料切れなので調子に乗ってやってると、意識が落ちてしまうかも。
とりあえずその兆候は無いのだが、絶食も8日目だし、無理は禁物だ。
23時00  ○ X
1時30分  ○ X
3時20分  ? ?
5時50分  X  △
7時30分  X  X   入浴前  56.2Kg(入浴後着衣あり、点滴無し)36.5℃

点滴輸液針は右手に移動。左手では輸液流が何だかよく止まっていることがある
し、睡眠中も下敷きになっていることが多いし。手術時には左手にするので左手
を温存。(点滴は入院時から24時間「持続点滴」状態)

IL2(インターロイキン#2)は既に市販されているらしいが、使用できるのだろ
うか。当然、保険対象外なのだろう。しかしインターロイキンにしたところで
γ-グロブリンと同じ「借り物」免疫としてしか作用しないのではなかろうか。
γ-グロブリンでは散々な目にあっているので2度とごめんだ。
今日は11時ころにN(utsunomia.comのサイト管理者)が来るといっていたが、
どうしたものだろう。サイトのアップデートはしばらくお休みにすればよいとし
て、出版物などの計画が遅延することを何とか防ぎたいものだ。

Nが来たが結局出版物の話はしなかった。デイルームでネット接続を開くことに
専念。結構スピードも出る。どうやら隣の病院か大学の開放LANが具合が良いよ
う。
10時0分  X  ○
10時50分 X  ○
13時ころ X  ○
キヨミとあずまやへ。あずまやは「オアシス」と呼ばれているらしい。
14時ころにNは帰る。
その後デイルームへ。Y女から見舞いに来るとのメールが。
Y女は駐輪場に行けずに、駐車場へ入る。
天皇論とタカラ(猫)写真最新版などを持ってきてくれる。
夕方までオアシスでくつろぐ。多くの患者さんが訪れる。
あいかわらず食欲も喫煙欲もわかない。あるのは惰性で暇つぶし的にタバコを
ころがしたい?という雰囲気だけだ。病状が重いということなのか?
0時20分 小
3時46分 X  ○
5時26分 小
7時26分 X  △


「手術前日」
10月12日火 絶食+9

 今日は手術前日。少々の準備がある。配られたプリントによれば今日はシャ
ワーではなく「入浴」ができるそう(実際にはシャワーだった)。爪きり、臍掃
除など。
やはりこのところ毎日ちゃんと眠れていないようだ。今日は7時半まで寝ていた。
正常なリズム維持などできるわけない。昨晩は妙に小用が多かった、といっても
メモによると2回なのだが、しっかり出ていたような気がする。7時半に起きてす
ぐに用便にいくが、それなりに出たように思えたにもかかわらず、わずかな血液
の塊が見えるだけ。透明なゼリーでも出たのか。(ひょっとするとダカラの甘味
成分かも・・後にこの手のローカロリードリンクの甘味成分は、消化吸収しない
らしいことが判明)

手術室詰めの看護士さんから、手術について説明がある。いま目の前にいる美人
さんが尿カテをセットしたりするのかな、などと妄想していると、「何か不安な
ことはありますか?」などの問いに対しても、どうでもよいことしか答えられな
い。竹輪の穴にキュウリの短冊を通すのとはわけが違う。
だが、この人は他の看護士さんと違い妙に目に力がある。この人にだったら尿カ
テは任せられそう・・だから妄想だって。それにセットするのは、どうせ導師さ
まとあっちの世界に旅立った後だし・・だから導師さまは地上勤務なので一緒に
は行かないって。
・・手術室詰めのスタッフに求められる素養とは、滅多なことには動じない冷静
さだ。にこやかなだけではない強さが必要で、尿カテのセットなど取るに足らな
いことなのだろうけど。

(注釈:多くの手記では排尿のためのカテーテルの挿入について記述がある。尿
道口からパイプを膀胱まで挿入するのだが、挿入を行う看護士さんの技量により
そうとうに上手い下手があるらしい。特殊な趣味の方はその挿入が楽しみらしい
が、私は過去にものすごくひどい目にあったせいで、かなり警戒している。
要領はオードブルを作るのと、さほどかわりはないようだが、ちょっとしたコツ
でもあるのだろう。目の前の看護士さんがその処置を行うのかどうかはわからな
いが、どうかお願いです、上手にやさしくしてくださいね、という希望と、この
看護士さんが病院中で一番うまい人でありますように、という祈り・・・・・・
・・・やっぱり妄想だね
<追記>この手記にはシモの問題や記述が多く出てくるが、当人にとっては極
めて深刻で、中には命に関わる状況で不謹慎ではないか、との指摘もあった。し
かし自分が直面してみるとフロイトを例出するまでもなく、これらは「生」の属
性であり、それらの思考や観察を否定することは「死」の属性であることに気付
いた。社会的には相当にかっこ悪い手記だが、役に立つ手記にとっては必要と考
え記述している。なにせマズい展開では失ってしまうものばかりだからだ。)

 昼前にフロアの担当看護士さんが臍掃除に来る。オリーブ油と綿棒で掃除する
のだが、全く汚れていないと驚いている。(切開は臍から下へ12cm行われた。臍
は割れ止めか?・・後日同様の術式での切開例を調べてみたら、12cmはかなり
小さいようだ。考えてみると、このサイズの切開ではほとんど手探り状態なので
はなかろうか。開く→目視で状況確認→手探りで作業→目視で確認→→→手探り
で自動縫合機のセット→目視で確認→縫合、のような流れだったのだろうか。ま
ったく手技だのみなのだろう:後日記)ちなみに剃毛などしないようだ。

15時前にシャワー。その前に用便。ちっとも出ない。血も出ない。今日は結構
ふらふらで、階段昇降は中止。体重56.1Kg。
シャワーをしてる最中にキヨミ到着。着替えた後オアシスへ。点滴スタンドが
重く感じる。
オアシスは気持ちいいのだが、蚊がいるらしく、結構さされる。
オアシスからリハビリ室前のベンチに移動。
7Fデイルームに戻り、インターネットでインターロイキン検索に続き、病院め
ぐり。近隣の病院の中でもここのホームページは、出来が良いように思う。やる
気の無い(ホームページの充実について)ところは、いつまでたっても良くなら
ない。私の同級生たちの勤務先病院にも行ってみる。今まで行ったことなかった
が、皆がんばっているようで嬉しくなるが、なぜか消化器外科は一人もいない。
がん専門医は一人いたが、随分前にがんで死亡。

今日は用便回数が極端に少ない。
21時30分ガスのみ。血液も粘液もなし。
明日は手術。
予定表を見ると、持続点滴5本、オプション点滴2本、血液検査(術後のマーカー
か?)、一般撮影(ポータブルで胸部、腹部、各正面)、手術、シャワー!?
(シャワーは無理だろ)
1時30分 小
3時22分 小
5時02分 小
6時30分 X  ○ 起床
予定表には下剤と当日の浣腸もあったが、いずれも省略になった。きっと絶食
続きだからだろう。本日無事入籍できたようだ。新婚だ!


「手術当日」
10月13日水 (15日記入) 絶食+10

 起床後、輸液針を太いものと交換(青からピンクに)。これが一大イベントで、
手術時は必ず左手に輸液針をセットするのだそうだが、ことごとく失敗で、8つ目
(交代すること3名)でやっと成功。結局これも短命だったが・・・。左手は西成
のヤク中オヤジのようになってしまう。・・多分やわらかい樹脂針だからなのだ
ろう。
○9時半
 手術着にパン一で、歩いて中央手術室(2F)へ。さらに自力で手術台へ。
どうせ脱がされるパンツなら、最初から履かなきゃいいのに。
最近では手術室でBGMを流していることもあるそうだが、ここは静かなようだ。
もしワグナーでもかかっていたら、逃げ出していたかも。
例によって麻酔剤打って5秒後から記憶無し。導師さまに目配せする間もない。
○12時過ぎ
 続きの記憶は2階の中央手術室で、大変息苦しいところから。
気管抜管時の「深呼吸をして」と言う呼び声。うまく深呼吸でき、すぐに息苦し
さは解消されるが、別に鼻から管が差し込まれている。大変な違和感、というよ
りも苦痛。外して欲しいと訴えるが却下。意識も切れ切れに、エレベーターで
7階miniICUへ。キヨミとKT君が付き添う。即座に自分の状態を確認。

挿管していると必ず気管の内側を傷つけ、これがもとで肺炎になることが多い
のだとか。鼻からの管、食道方面に入っているはずなのに、どう考えても気管方
向に入っているように感じる。痰を吐き出すことに専念しろとの指示。咳払いな
どで吐き出すことはできずに、梅干の種を出すように痰を搾り出し、ティッシュ
ペーパーで拭い取ることを繰り返す。枕元に大きなポリエチレン袋が付けてあり、
そこへ拭い取ったティッシュペーパーを放り込んでいく。
この挿管、抜管をリスク無く行えれば大変画期的なのだが、そんな方法誰も考
えつかないのか。テレビドラマのERやDrハウスでは、すぐに気管挿管や脊椎穿刺
が行われるが、できることなら断固拒否だ!

 現在体に接続されているチューブやプローブは定番どおり、酸素吸入マスク、
不快の根源鼻からのチューブ、左腕には点滴赤針、右腕には血圧計、右手指に
光学式の酸素飽和度センサー、左わき腹から浸出液ドレインパイプ、胸に心電計
電極3本、股間から尿カテ、腰椎に硬膜外麻酔だが、額にゼリー状のものがべっと
り(おそらく麻酔深度のモニター電極の痕だろう。ここが導師さまとの絆か)。

それら以外に、両足膝から下に揉み解しエアバッグ、などが観察できる。
心電計電極のどれかが接触悪いらしく、体のどこかに力を入れるとピックアップ
できなくなり、警報を発しているが誰も気にも留めない。何度か死んだフリ遊び
をしてみる。徐々に拍動を上げて行って停止やリタルダンドで停止など、ある程
度うまくできるようになると、すぐに飽きてしまう。これって単なるカデンツの
練習じゃないかと思うと、馬鹿らしくなってしまう。一昨年死亡した父の末期
が頭を過ぎったが、父の心臓は強かったことを思い出す。暇なので呼吸を調整し
酸素飽和度の数値を上下させ遊んでみる。検出は指先なのに、意外と反応が早い
ことに驚く。酸素マスク無くても93くらいはいけてるじゃん。

 いく分熱もあり気分もすぐれないので、氷枕をしてもらう。これはよい。
朝からキヨミ(妻)とKT君、後からY女、夕方にNM君(大学のアシスタン
ト)を呼び出す。キヨミとKT君はK医師からの術後直後のインフォーム聞いて
くれ、写真も撮影してくれる。録音なし。
術後すぐから面会は自由に行え、同時には2人までなのに、最大時には4人で
和やかに過ごす。とりあえずの無事に皆の嬉しそうな顔を見て、自分も嬉しくな
る。男連中は取り付けられたバイタルモニターに興味津々。

 (閲覧注意)

手術そのものは予定通りの終了で、K医師の言うには「思ったとおりやった!」と
の見解。頼もしい!! とりあえず成功ということだろう。

 

 夕方以降徐々に麻酔が切れていき、あちらこちらが痛いことに気付く。もちろ
ん手術創も痛く(腎石に比べるとぜんぜん軽いが)「痛み止め」を希望する。
しかし効果は3時間弱、使用間隔制限は6時間以上なので、切れたときに逆につら
い。こんなことなら自力βエンドルフィンのみでいったほうがよかった。痛み止
めなどで一度βエンドルフィンの分泌が止まると、痛みが復活してもなかなか分
泌再開されないようだ(痛みの度合いも分泌できる閾値ぎりぎりのレベルなので)。
また変化しない一定の強い痛みに対しては大変よく分泌されるようで、痛みの状
態を問われても痛いはずなのに、それをあまり感じなかったりする。
ただ、分泌量が増えると、やたらと眠くなり、同時にハイになるという難点もあ
るが、これって中毒にはならないのだろうか。以前からの疑問だ。

 術後すぐから、何度かフロアの看護士が聴診器で胃腸の動きを確認するが、麻
酔が効いているにもかかわらず、よく動いているそう。一度マスクを外してお顔
を見せてください・・。
オプションの痛み止めをセットしてもらうころには、点滴赤針は血管からズレ、
腕の結合組織内に輸液をぶちまけ痛い目に。右手に変えるが、これも最初の1本は
失敗。こちらの方がダメージが大きく、ひどく膨れ上がっている。



 両足、膝から下に空気圧で揉み解すバッグが取り付けられていて、とても気持
ちがいい。普段から使いたい。これは術後身動きできない状態で、足先などが鬱
血し、エコノミー症候群のように血栓ができ、挙句に肺塞栓症に陥ることを防止
する措置らしいが、それにしてもたまらない気持ちのよさだ。


基本的には、細かく寝たり起きたり状態。

 キヨミが心配していたのは、手術が異様に早く終わってしまうことで、それは
開腹したものの何かが思惑と違い、先に進めなかったことを意味するからだ。実
際に私の場合、あまり例の無い放置状態だったため、その可能性も否定できない
状況だったようだ。大腸内視鏡も肛門から15cmのところ(時間にして6分)で終
わっているし。
2時間過ぎたところで安心し、買い物に出かけたそうだ。
手術そのものは3時間弱で終了したようだ。ちょうどチリの生き埋め作業員の、
最初の救出された時間と同じころ、手術終了したらしい。

 腹腔鏡下による手術も徐々に増えつつあるようだが、私の場合は患部が大きかっ
たことや、ある程度の緊急性があったからなのか、旧来の開腹手術になったようだ。
そのため比較的大きな手術痕になったが、手術時間も短く、回復もきわめて早いよ
うだ(一般的に腹腔鏡下手術の方が回復が早いというが)。手術痕なんて気にしな
いし、エンジニアリング的にはより作業環境の良い方を支持する。(自分が同じ作
業を行うなら、カメラとディスプレイより、自分の肉眼と指先が届く方が、明確に
好結果を導けると思う)
外科手術に限らず、あらゆる分野の実行部分は、その分野の職人の技量と自信に
よって支えられている。私自身、自分の職人的技量の向上に貪欲であるし、
(そのことがしばしば損な役回りにつながってしまうが)研究者的立場に優先する。
そうでなければ結果は残せない。ゆえに自分の体をゆだねるなら、優れた職人的
資質に恵まれた医師にであり、研究者にではあるまい。両方のバランスを兼ね備え
た人物にめぐり合えればベストなのだろうけれど。

白血球数は20000/μlを、CRP(C反応性蛋白)は9.9mg/dlを超えている。基準値は
それぞれ3900~9800/μl、0~0.3mg/dl。おそらくこの件が気になってか、K医師
が様子を見に来る。感染症の兆候だからだ。 がんばれ カラダ。


「歩行・歩行・歩行」
10月14日木 (15日記入)手術+1日 絶食+11
 午前中に尿カテ、酸素マスクを外し、清拭(体を拭いてもらう)。竹輪からキュ
ウリの短冊を引き抜いたのはフロアの副看護士長さん。紙おむつから、どこかに隠
し持っていた元の私のパンツに。このあたりの手際が妙に良い。手品のよう。手術
室からどのように引き継がれたのか、ストーリを想像すると笑えてしまう。
 全体に患者が恥ずかしがるような事柄について手際よく行い、意識させないよう
に工夫されているようだ。剃毛せずにどうするのかと思っていたら、太ももから、
発毛している部分にかけてをカバーするように、粘着テープで覆ってあったようだ。
全身麻酔が効いてから貼り付け、覚める前にはがす。
でも糊痕が・・。
残念なことに足のエアバッグともお別れ。お名残惜しいです。
医師や病院によって工夫は様々のよう。でも、私としては恥ずかしいことより鼻の
チューブだ。

 医療も「サービス」への転換を迫られているらしいが、「痛まず」「不安なく」
「好成績」でサービスされることに、私は何の不満も無い。しかし実際の問題とし
て医療には限界があり、数々の疾病に対して十分に対処できているかどうか、とく
に私が直面しているがんに対しては未開の部分が多い。原因すらよくわかってはい
ない。工夫が見えることは嬉しいし、なるほどと感心する場面もあるのだが、根本
的な、疾病そのものに対する不安がそれによって解消するわけはなく、サービス
だけが一人歩きすることのほうが怖い。本当はもっと話もしたいし、びびらせても
ほしい。この調子では数年後には、入院即向精神薬投与にもなりかねない。
私は音楽制作者だが、この10年以上の音楽産業崩壊と医療サービスは無関係では
ないように思える。人々の中にある漠然(明確でも同じ)とした不安は、いつの世
にも存在するが、音楽や宗教はその解消の一翼を担っていた。しかし今日その対抗
馬として、合法的な向精神薬の安易な処方があり、音楽や宗教が効力を発揮しない
者に対しても、それなりの効力を顕している。末期がん患者に対するホスピスです
らリタリン(強い向精神作用があり多幸感をもたらせるともいう)漬けだ。音楽は
これらに勝てなければならない。前途多難なわけだ。
私も以前知人宅を訪れた際、急な頭痛に見舞われ、鎮痛剤がないか問うたら、そ
れは無いが向精神薬ならあるというので、試しに服用してみた。効果はすぐにあら
われた。もちろん頭痛に効くわけもなく、その後さらに痛みは増していき、嘔吐す
るほどになっても、「まっいいか!」と思えるほどに・・。敵は手ごわい!!

 鼻のチューブはなかなか抜いてもらえない。チューブは医師でなければ抜
管できないのだそう。昼ころにやっとK医師に抜いてもらった後、miniICUから
通常病室に戻される。
当面は自力で歩いてトイレに行くのが目標。頑張るがやはり痛い。しかも硬膜外
麻酔のためか、左足が部分的に麻痺しており、「ちょっと間に合わない」ことも。
どうも尿カテが入っていたせいか麻酔のせいかで、膀胱出口の締りが悪いような
気もする。
結局、日中は4回、夜半に3回行く。朝は絶対間に合わないという確信から、あら
かじめ尿瓶をオーダー。
ガスは夕方には出る。盲腸の手術後と同じだ。
歩くことも痛むが、それ以上にベッドでの寝起きが大変なのだ。一定以上の速度
では移動もできない。点滴スタンドに体重をかけてしまうため、肩が痛む。
しかし、多少無理をしてでも歩くと、その後にベッドに横になったときに、歩く
前より痛みが軽くなっているのだ。もちろん限度はあるが、歩く度に快方に向か
っていることが実感できる。夜半には腹部よりも肩の方が痛いのではないか、と
思えるほどに。
最初の間は自力で起き上がることができず、ベッドの電動リクライニング機能で
一旦上半身を起こし、その後に下半身も少し起こす(膝を立てたように起き上がる)
機能を使い、やっと体を立てることができるほどだったものが、夜半には、何とか
自力で起き上がれるように。でも相当痛む。肩の関節が外れそうなほど痛い。
水分のみ摂取可能との許可。でもあまり飲まない。トイレに行くのが苦痛だから
だ。夜は痛み止めを希望。この日の痛み止めは2時間程度しかもたなかったが、
少し幸福な夢を見ていた。成分が違うのだろうか。
左右の足の温度がひどく異なる。右足は冷たく左足は妙に温かい。左は硬膜外
麻酔で一部がしびれたままなのと関連があるのか。術後からずっとだ。



「絶食の終わり」
10月15日金 手術+2日

 朝から何度かK医師が様子を見に来る。ガーゼを取替え、経過を見ている。今
日から流動食だそうだ。すばらしい! K医師が近づいてくると足音でわかるよ
うになった。ちょっとせっかちで、何かを考えながら歩いている。パタパタパタ・
・。
K医師は忙しい。通常や緊急の手術、上下内視鏡、回診やインフォーム、患者か
らは見えないところでもあれこれ仕事してそう。私のように面倒な患者の相手も
しなければならないし。看護士さんにきいてみると、皆口を揃え、優しい先生と。



17時ころにキヨミに続き、F(友人・プロカメラマン)、Y女が見舞いに来てくれ
る。Fの土産は、例の違法ワイアレスLANのひとつ。接続してみるがドライバが合
わない。本体は持ってきたが、ディスクは持ってこなかったそう。5時過ぎに初
排便。写真も撮影する。看護士に伝えるが、見る必要はないのだとか。これまで
はあんなに見たがっていたのに。おかげでトイレまで無駄に3往復する。夕食も
重湯、コーンスープ、栄養ドリンク。重湯はY女にあげるが、おいしそうには飲
んでいなかった。あたりまえか。
夕食からはデイルームに運んで食べる。19時40分、FN君(社員)が見舞いに来
てくれる。それにしても重湯はマズい。



見舞い人たちが帰ってから、手術当日からの日誌を一気に入力してたが、そこへ
看護士さんが検温に来たときに、「信じられない!」と一言。別に、普通じゃん。
夜間、しばらくは起きておき、「間に合わない問題」に対処しようとするが、無
意味だった。尿意で目覚めたときには、無理せず尿瓶を使用するのが吉。尿瓶だっ
て間に合わないこともある。


「痰が怖い」
10月16日土 手術+3日

 昨夜は夜半に少し発熱。頭痛もあったので、またもや氷枕。
硬膜外麻酔は完全に終了。それとともに徐々に痛みも感じるが、どうというこ
とはない。排尿タイミングが間に合わない問題が解消されるなら、その方がう
んといい。また腹筋にひびくようなことの、寝起き、咳、笑うなどがどうしよ
うもなく痛い。笑うのは我慢すればよいとして、気管に多少の痰があっても、
咳払いもできないし、ゆえに痰の排出ができない。くしゃみなどはもってのほか。
ハナもかめない。これで肺炎にまでなってしまうのかと思うと、恐怖すら感じる。
一刻も早く回復し、この恐怖から逃れたい。
今日の午前中はなぜだかものすごく暇だったような気がする。



午後、先ずはキヨミとY女が来てくれる。二人とも自転車だとか。
それに続きNC女(同級生、京都)、T学科長、6時過ぎてから3回生のU、Nが
見舞いと授業を受けに来る。
今日は随分歩けるようになっている。左足が上がるようになった。麻酔の終了なの
か、回復なのか。硬膜外麻酔が少しずれていて、切開した部分ではなく、左足股関
節あたりが麻痺していたようだ。

   


どうもNC女は事の深刻さがわかっていないようで、的外れな会話になってしま
う。
 流動食、とくに重湯は飽きた。便は最初はバラバラだったが、徐々にまとま
りを見せるようになってきた。いいぞ!  それはいいが、大腸の本格稼動のお
かげか点滴のせいか、1~2時間毎に小用に起きる。ちっとも眠れない。


10月17日日 手術+4日
 静かな日曜の朝。体重測定55.8kg。朝もや。
確実に直りつつある。起き上がるのがとても楽に。歩くのも、左足をひきずら
なくなり、いすに座るのも簡単になった。
本当は、点滴ひとつだけが必要なものなのだが、いまだに硬膜外麻酔セット、
ドレインバッグを付けている。いや、ドレインバッグはまだ必要なもののひと
つでした・・・。長らく何も出ていなかったのに、昨晩のうちに20cmほど透明
黄色に赤いライン入りの浸出液が出ている。しかしK医師がお休みなので、明日
を待たねばならない。写真でも撮っておくか。


昼前にオアシスに行ってみる。術後初めてだ。意外と楽に行けたが、結構疲れ
た。

 

午後、キヨミがきてくれた。キヨミがシャワールーム1でゆっくり洗髪をして
くれる。この病院では、病棟各フロアごとにシャワー室が3つずつあり、そのう
ちの一つが介助対応になっている。術後間もない場合は看護士さんの介助で、
洗髪もできるが、私は新婚5日目なので、新妻が来るのを待つ。許可さえあれば、
自分の好きなときに好きなだけシャワーは使えるようになっているし、込み合
うということも一度もなかった。
その後2人でオアシスへ。本日2度目のせいもあってか、ひどく疲れる。
キヨミに続きMさん(社員)夫妻が見舞いに来てくれる。梨の差し入れを持って
きてくれる。夜にはN君が来る。今日は河南町のだんじりだそうで、カラオケが
うるさいとか。
夜はインディージョーンズを見る。面白いが、宇宙人はねえ・・。
排便時がなかなか力めないし軟便すぎる、→そのせいでガスとその他が分離で
きない→毎回トイレへ、という状況。そのうち改善されるのか。定住菌はどこ
へ行った。==結局うまく排便できていないのだ。


「ご褒美?」
10月18日月 手術+5日

 キヨミは今日は会社へ出社。みなさんで某バイキングへ汚職事会(社員KM当
て字)だからだ。予定では採血(早朝に済み)、一般撮影(レントゲンか?)腹部
正面、硬膜外麻酔セットの取り外し、何時か不明だが、F君見舞い、がある。
社長へは「腫瘍による腸閉塞だが、手術により順調に回復予定」と伝えることに。
退院の日取りは、23日、24日にキヨミが突然入籍した件で、親族会議があるため
に、25日にしてほしいという要請をすることにする。・・・とK医師に持ちかけ
たら、絶対だめとの回答。
10時すぎ、腹腔ドレインパイプと硬膜外麻酔セットを外してもらえる。ドレイン
パイプは抜けないように縫い付けてあったようだ、縫い目は解かず皮膚の手前を
バチッと切る。当然痛い。抜くときのニュリュッとした感じは、山の大ミミズを
引っ張り出す感触だ。パイプが瑠璃色に光ってないか??そういえばかつて対面
した巨大ポリープの軸部分とも感触が似ている。
臍下の縫い目も半分だけ抜糸。三分粥に切り替え。



その後オアシスへ行ってみるが、体が軽い。昼食。三分粥とはいえ、おかずが
豊富で、よく似た味ではあるが、結構な満足感がある。これで便がよくなれば
よいのだが。少し休もう。
14時過ぎ、オアシスへ行き、タバコ2本。ぜんぜんうまくはないし、くらくら
もしない。ご褒美としてはがっかり。そんなものをご褒美にするほうが悪い。
オアシスで元胃がんで現在再発の患者さんに合う。
 その後デイルームに戻りネットセットし、サイト管理者のNと古くからのフ
ァンであるKB氏に返事を返す。続いてネット上の大腸がん闘病記を読み漁った
のがまずかった。生還率悪いじゃないか。人工肛門多いじゃないか。みんな私
よりも早くに気付き、病院へ行っているのに。闘病記はいつしか途切れ・・・。
こんなんじゃだめだろう。もし私がそれなりに好成績なら、この日誌をアレン
ジして発表しよう。きっと何の参考にもならないだろうが。
(・・いや、私だって気付いたのは早かった)

(後日記:どうやらネット検索の上位にあるものは、平均的な経過や良運に恵ま
れたものよりも、不運な経過のものや、絵に書いたような不幸な筋書きを辿っ
たものが、よく読まれる傾向があるようだ。この傾向を悪く捉えるなら、「他
人の不幸」や「それよりは自分はマシ」な使われ方なのかも。中には希望に満
ちた、本当に励まされるものもあるが、それはあまり多くはないようだ)

18時30分、夕食をラウンジ(デイルーム)で食べる。昼食と同じく3分粥なのだが、
食べているときはそれなりの幸福感があるが、食べ終わりに近づくと、徐々に
苦痛になっていく。臍下の縫い目が広がり痛いのだ。お願いだから、ちゃんと
便になってね。



夕方、カメラマンF君とNM君がお見舞いに。オアシスへGO。20時ころにデイル
ームへ戻る。



結局0時前まで闘病記を読み漁る。その後1~2時間ごとに小用。どうも排泄量が
少なくなっているようだ。どの闘病記をみても排泄の具合が変化し、それに慣れ
るのが大変であるとの記述は多い。尿カテの期間が長いと「膀胱訓練」までする
のだとか。私は短かったが、それでも相当に残尿感や痛みがあるが、これがもっ
とひどいのだろうかと想像する。


10月19日火 手術+6日
 朝から曇りで、気温も上がらない。季節が変わろうとしている。
9時半ころK医師が来て、残りの抜糸と縫い目にテープ貼りをしてくれる。腹帯も
卒業だそうだ。腹の具合を聞かれるが、下痢は止まり何も出ないというと、順調
との回答、熱が出なくなったのも良いとのこと。腹帯が無いと寒い。後は点滴の
輸液針(青)のみで、手術前と同じだ。
K医師は、もうシャワーを使っても良いとおっしゃる。さあ、今日は何をしよう。
この調子では木曜日にインフォームがあって、そのまま退院になるのではあるま
いか。
13時半 外の売店に食欲をそそるものがないか、物色に行く。自転車置き場まで
来たところで6Fの車椅子氏と出会う。やはり売店へ行くのだとか。自分では、
カール購入を考えていたが、なんと氏もカール狙いだった。そしてカールは店に
は2袋しかなく、うす塩は氏の下へ。しょうがないので同じ明治のハイレモンを購
入。
14時半、キヨミ到着。昨日の某バイキング話、社長からの見舞金話など。
15時半、術後はじめての自力シャワー。シャワーの前に背中の貼り跡(硬膜外麻酔
のパイプライン貼り付け糊痕)をベンジンでふき取ってもらう。自力シャワーの
なんと気持ちの良いこと!!
18時すぎにY女も来る。
見送り後におっさん二人組み(高血糖と抗がん剤投与)に合い、そのままオアシス
で20時50分ころまでくつろぐ。7Fに帰ったところで看護士さんに何気にとがめら
れる。多少は笑っても痛みは走らなくなった。随分回復したものだ。おっさん二
人組みはオアシスで夜食のおでんとビールをしたためている。もちろんタバコと。
昨日は焼肉を食べに行ったそう。何してるんですか。
自分は、あとは排尿と排便がうまくいけば社会復帰できそうな気がする。
あさっての木曜には生検の所見がでるようなので、今後の方針もある程度決まる
のだろう。
CEA(腫瘍マーカーテスト)がなぜこまめにできないのかわかった。1ヶ月以内に
2回以上行うと健保適用の対象外となるからのようだ。
フランスで大変お世話になったYさんから、ダライラマの大阪講演に来たいとの
メールが来る。こちらにも遊びに来ればいいのに。
今夜も小用でさっぱり眠れないのだろうか・・。パンツのゴムの圧迫が過剰便意
の原因ではないかと思い、夜半にノーパン(病院着はあり)にすると、結構な
改善があった。1時間から2時間間隔だったものが、3~4時間間隔に。また明らか
にその分、1回あたりの排泄量も増えている。しかし、レンタル病院着にノーパン
は抵抗があるが、いたしかたあるまい。


「食欲不振」
10月20日水 手術+7日

 7時57分 K医師が様子を見に来る。腹の手術痕を見て、順調な回復です、との
こと。明日までには生検の結果が間に合うだろうという説明をくりかえす。自分
としては、説明は後日でもよいと思っているのだが。できることはできるし、で
きないことはそれが命に関わってもできないし。  高血糖氏は、退屈のあまり
強引に退院する模様だ。チョコレートが食べたい。今日の昼食から5分粥。



13時ころ高血糖氏は退院。
傷自体は極めて順調に回復し、痛みもなく、走ることも可能なほどだ。
そういえば今朝は軽くアサダチあり。死んでないことを実感。
15時ころキヨミ到着。とんがりコーン、キャラメルコーン、明治の高濃度低脂質
チョコレートなどの差し入れ。オアシスで1本。
16時ころ点滴針を抜針。その後シャワー。髭はそらない。シャワー後体重は55.5kg。
昼過ぎにABさん(教え子)から見舞いアポメール。夕方に来てくれるらしい。
今日はもう点滴がないので、夜に小用の間隔が戻ればもう少し熟睡できそうだ。
しかし他人に病状を説明するのに、腸閉塞は随分かっこう悪い。「何食べたのです
か?」などと聞かれ、返答に困ってしまう。
何とか「食欲」を回復しようと、食べ物を思い浮かべたり、売店で商品を眺めたり、
キヨミにスナック菓子を買ってきてもらったりするが、今ひとつ食欲に結びつかな
い。スナック菓子を食べてみても、すぐに欲しくなくなる。現在5分粥だが、とり
あえず食事の時間は待ち遠しいと思うようにはなってきたように思う。微妙な話な
のだが、胃腸の活動と食欲との関連が薄いという、妙な状況に陥っている。絶食し
ていた時間が長かったせいだろうか。排便感覚の変化について、ボリュームのある
看護士さんに質問してみたが、やはり「新しい体に慣れる」しかないそう。他の多く
の手記によれば、「排尿障害」だの「導尿」だのの記述が多くあるが、私の場合、そ
のような説明などは一切無し。そのリスクが少ない術式だったのか、そのケアとリ
スクを重視していないのか、クレームで初めて対応するのか不明。
(後日記:手術前のインフォームのときのプリントに、一応可能性のあるリスクとし
て性機能障害とともにその記載がある)
夕方、オアシスにいたらAB/MK夫妻が見舞いに来てくれる。その後デイルーム
に戻ったところで、KT君が出不精でやや引きこもりのKM君を連れてきてくれる。
ひととおり病状説明をする。


明日はおそらく早朝に採血、14時半から栄養指導とインフォーム(組織の生検
の結果説明)と、おそらくは今後の治療指針の説明。あとは点滴1本とシャワー。
5分粥にベビースターラーメン(23g袋)を入れて食べると結構いけることを発見。
(決してうまくなるわけではない)


「貧血~栄養指導」
10月21日木 手術+8日

 点滴が無いせいか、0時から5時半くらいまで良く眠れた。(小用に起きる必要が
なかった)新入りの検査入院のおじさんが部屋で何度も排便するのが臭く、少し
困る。しかし少し我慢していると、建物の圧力傾斜のおかげで匂いは去るのだが、
そのころにはまたまた次の排便が・・。
5時40分、ボリュームのある看護士さんが採血に来るが、うまく血管に入らず、
痛い目にあう。大変お疲れのようだ。
54.4kg 減り続けている。点滴が終わったせいだろうか。K先生が血液検査結果チ
ャートの最新版を持ってくる。総コレステロール、血糖、赤血球数、血色素量、
ヘマト、などいずれも標準下限値を下回り、備蓄燃料切れを示している。明確に
貧血の一歩手前だ。白血球数はこれまでになく低いが、がんを取り除いたせいだろ
うか。しかし関心事はそれらではなくCEAとCA19-9の動向だが、入院中には出てこ
ないのだろうな。



14時半から栄養指導を受ける。1Fの栄養指導室でキヨミと一緒に話を聞くが、今後
ずっとのことではなく退院後およそ1ヶ月程度の注意事項だ。おおよそ想像通りの
内容。腸閉塞はいやなので遵守しよう。なにげにオアシスの心理的効用とZOOM H1
の宣伝もしておく。レコーダーに興味があるようだ。
その後、K医師から、私が長年飼育していたがんについての詳しい査定結果説明を
受けるはずだったが、緊急手術のため2時間ほどずれ込む。
★がん所見~インフォーム~退院予定
説明によれば、長年の飼育とあれほどの大きさであるにもかかわらず、ステージⅡ
で、転移の可能性は少ないとのこと、ガイドラインでは補助化学療法の対象から外
れること、それを受けた場合1ヶ月あたり健保適用で6万円と高額で、それを6ヶ月
(ただし投与は経口)続けなければならないことなどの説明を受ける。悩むところ
だ。
また退院日はこちらの都合に合わせて翌月曜(10月25日)に。最初の通院が11月8日
(月)になること(その日は血液検査があり、補助化学療法の有無を申告しなければ
ならない)などの説明を受ける。この日の血液検査でCEA(がん胎児免疫:腫瘍マ
ーカー)をするらしいが、その結果はさらに先になるので、補助化学療法の判断材
料には使えないらしいこと。しかし、これだけ長きにわたり放置飼育していたにも
かかわらず、ステージⅡとは・・。とりあえず何かに感謝している自分がいる。
(巻末注:病理所見と本人所見参照)
ところで先生、咳き込んでまっせ! 大丈夫ですか?

後でTNM分類に当てはめてみるとT3N0M0でAJCCではStageⅡAにあたるようだ。
説明を受け、大変うれしいのはもちろんなのだが、排便がうまくできていない問題
や今後の方針をその期間で決められるのか、よくわからない。そんなことを悩みな
がら(とても贅沢な悩みなのだが)キヨミとオアシスにいたら、KT君が登場。ひ
ととおり話し、寒くなってきたので7Fデイルームへ移動。
7Fフロアの美人看護士長に退院日が決まったこととお礼を言ったら、ホームページ
を見たと。また闘病記が無いのかとの質問も。日誌と写真があるので作成は可能だ。
いくつかの闘病記を読んだが、それとは全く異なった闘病記は書けそうだ。検討し
よう。
とにかく今のところ私は本当にラッキーだ。宇宙戦艦ヤマトなみだ。技術や物量で
先行するガミラス帝国に、ヤマトが勝利している原因を詳細に分析してみると、常
に「運のよさ」によって切り抜けていると結論できる、とはキヨミの弁。ヤマト魂
も愛も、まして波動砲など無関係なのだが、この物語は運のよさこそ最強であるこ
とを教えてくれる。必然系とテクノロジーはどこまで行っても交差しないことを予
言している。ガミラスの側に立ってみると、これほどの屈辱はあるまい。今後とも
良運に恵まれたいものだ。

夜3時前、向かいの患者さんが、鼻のチューブを自分で抜き、あろうことかそのまま
ベッド上で喫煙しているのを看護士に見つかり、騒ぎになっている。心理的に相当参
っているのか、ストレスが激しいのか。注意されタバコをとり上げられるだけで終わ
るのか。
となりの老人も孫娘の言うこと以外、誰の言うことも聞かず、すべて「いたい」「死
にたい」「殺してくれ」「誰もわしのこと、わかってない」で切り抜けようとしてい
る。老人は定型の台詞を繰り返すことで何かを安定させようとしているかのようだ。
寒く感じたので、病院着の下にTシャツを着る。(この老人も受けた医療処置は私と大
差ないのだが、全く歩こうとせず、そのためか経過が芳しくなくいつまでたっても
「水のみ」からアップグレードされないようだ。これらの言葉は、「孫娘は来ないの
か」や「もっとかまってよ」に直訳可能と思われる。miniICUにいたときには、私が
手術を受けた日に、姥捨て山を目撃してしまう。悲しくて泣けてしまう)


「希望と憂鬱」
10月22日金 手術+9日

 昨夜の騒ぎなどで、排尿はうまくいっているのに熟睡できず、結局起床は7時半こ
ろ。
今日は階段を利用し、中負荷の歩行を行おうと思っている。
昨夜の喫煙事件は、翌朝の口頭注意のみで終わったようだ。この人は胆石か何かの
ようだ。(この方、かなり無謀で、後日に胃カメラの前にカフェオレを飲んで、それ
も相当に叱られていた・・ボケているようには見えないのだが?)
8時50分 階段昇降B1⇔9F 1本目 きつくは無い。うまく腸のぜん動運動を促進して
いる。意外と体力は温存されているようだ。
やはり効果はてき面だ。10時10分、到底快便とはいえないが、ちゃんとそれらしい色
と形と固さのものが出る。閉塞はしていないようだ。血も付いていないし、染み出し
てもこない。しかし感覚が弱すぎる。

 K医師に補助化学療法を行う際の候補薬剤を質問したところ「UFTユーゼル」との
回答。テガフール・ウラシル系薬剤のようだ。持続型のがん細胞の代謝阻害・増殖抑
制剤なのか。結構キツそう。

11時半にまたまた便意。やや難産ながら立派に出産。要領と感覚が少しわかる。閉塞
してないことが何よりうれしい。考えてみれば、こんなにちゃんとしたうんこちゃん
を排便したのは、ほぼ1年ぶりだろう。それが不潔だとか、排泄物とか何とか言う以
前に、愛しいと思えることが新鮮な驚きだ。手にとって人に見せて回りたいほどだ。

向かいの患者さんは病棟フロアから出ることも禁止されてしまった。
16時半、オアシスにいたら、N君が見舞いにたちよる。今日は阿木譲の店でのイベン
トを録音する仕事とかで、すぐにそちらへ向かう。オアシスでの話題は補助化学療法
の問題と病院の禁煙問題。禁煙をしたいというだけで、カウンセリングまで受ける時
代に、入院即禁煙を要求しても、それが受け入れられず、向かいのおっさんのように
「切れて」しまうことは結構あるのでは。それに限らずメンタル面のケアが弱いよう
に感じられる。
治療がどうの、といったところで、患者本人のやる気や気力が患者自身の免疫や回復
にも影響し、しいては治療の結果に大きく反映することを考えると問題は大きいよう
に思う。私の場合は、医師の忠告などを振り切って、メンタル面を維持する方向で
がんばり、それは成果として表れていると思うが、「振り切り」「説得」しなければな
らないことが問題だろう。その意味では「悪い患者」なのだ。
私の今後の補助化学療法について、もっと勉強しなければならないことは当然なのだ
が、現時点では受けない方向で、今後の医療の進歩に期待する方向で考えたいという
のが今の結論だ。(いや、それ以前に自己の免疫で抑制することが目標だ)
17時、キヨミは疲れてベッドで寝ている。

17時半 階段昇降B1⇔9F 本日2本目。
階段昇降は決して無理は禁物、息が切れるほどやってはいけない。1秒2歩以内。でき
るだけ楽に上り下り。もし息が切れるようならすぐに休む。心拍の上がりすぎにも注
意。
しんどかったりしたらすぐに十分休むかエレベータで戻る。間違っても駆け上がらな
い。
終了後数分で便意が・・。便意がなくともトイレへGO!! うまく出るようだ。
一説によれば階段を下りるだけでも良いのだとか。
階段昇降の後、暑くてベッド上で上半身裸で涼んでいたら、丁度看護士さんが来
る。傍らではキヨミが爆睡中。なにか勘違いされたかも。

サイト管理者N君と闘病記を掲載するかしないか相談。サバイバーラインのコンテン
ツに含める方向で検討ということに。
(後日記:結局「エッセイ」を新設することに)


隣の老人は相変わらず「死にたい」の独り言つぶやきを連発している。
キヨミの見送り後に階段昇降をもう一回する。


「コンディショニング」
10月23日土 手術+10日 

 夕べも何度も目が覚め小用に行くが、結局、明け方4時ころに目が覚めてしまった
のでしばらくそのまま起きているが、やたらとふくらはぎの筋肉が痛む。排便できる
のがうれしくて、昨日3度も階段昇降したせいだ。朝食後売店に行ってみるが、興味
をそそるものは何も無い。朝食時にふと外を眺めてみると、府立大学なのか、その隣
の宗教団体かで学祭かなにかをやっているようだ。ちょっと行ってみたい。
午後、キヨミが来る。NC女も見舞いに来る。午後のひと時なのでオアシスへ。
今日もオアシスはにぎわっている。17時ころに7Fデイルームに戻ろうとしたところ
で、T学科長が来る。うまくすれ違いにならなかった。メンバーが揃ったところで、
私はシャワーへ行く。T君はオールカーボンの大きな三脚を持ってきて美しい眺望を
撮ろうとしているが、ガラスの反射でうまく撮れないようだ。昨日キヨミにGX100と
3脚を頼んでおいたので、私も撮影してみる。写りは今ひとつのようだ。
そうこうしていたら3回生の2人も到着。T学科長と音楽学科の新旧の話で盛り上が
る。
18時過ぎになり夕食が来たので、食事ショータイム。19時過ぎには4人は帰る。
その後でデイルームの夜景をGXで撮影。
昨日の3度の階段昇降で、今日はふくらはぎがひどく痛むので階段昇降は中止にした
が、運動しないとやはり排便はうまくいかない。
困ったものだ。出るには出るのだが・・。また立って排尿すると、膀胱の奥だか、
腸の接合部あたりなのか、キリッと傷む。時間とともになくなればよいが。K医師
に以前この問題について質問したら、そんなモンです、慣れてください、とのこと。
誰に聞いても同じ答えだ。
8時ころにキヨミは帰宅。帰宅前にオアシスで庭の夜景などをGXで撮影。キヨミは
いつも遅いので疲れてしまい、食事したり入浴したりの途中で眠ってしまうのだそ
うだ。そこで今日は少し早くに帰ってみることにしたのだそう。
向かいの患者さんは一日中何かをむちゃむちゃと食べている。ヤギかなにかと暮ら
しているみたいだ。そんなに食べて大丈夫なのだろうか。ガムでももらったのだろ
うか。(後日、脳梗塞の後のリハビリの一環なのだ?とか話していた)
他の病院がどのような状態かよく知らないが、高齢者への精神面のケアが薄いので
はないかと思う。もちろん病棟で喫煙するなどもってのほかだが、患者どうしのふ
れあいや情報交換、看護士さんとのコミュニケーションなどがやや希薄な印象があ
る。私などは自分で快適な方法をある程度模索できるが(無理にでも)、そうでな
い患者さんたちは孤独に見える。病気との闘い以前に、孤独と戦わないといけない
のは酷だ。せん妄の一言では片付けられないだろう。
デイルームも建物の設計上は、3度の食事をしたり憩うように配慮されているのに、
デイルームで食事しているのはいつも私一人。他の利用者は面会に来た家族(のみ)
が世間話をするのに利用しているだけに見える。コンセプトが生きてないのだろう。
それとも希薄な人間関係が現代人の普通の姿なのか。他人のことは言えないのだが。

もう35年も前のことになるが、同じ地域に某宗教法人に附属する病院があり、そこ
に腎臓結石で入院していたことがある。
現在のように超音波破砕などの手法は無く、自然落下を多少加速する程度の入院だ
ったが、この病院には附属の看護学校があり、そこで厳しい戒律によって育まれた
看護士たちによって看護されるのだが、それはそれは心のこもった手厚いものだっ
たことが印象的だ。それが現在でも維持されているのかはわからないが、今入院し
ているS病院では対照的で、クールな入院生活が送れる。
クールなのと、退院したくなくなるほどの手厚さと、どちらが良いのか簡単には結
論できないが、考えれば考えるほどわからなくなってしまう。入院加療することは
人生の目的ではないし、一日も早い復帰を目指すには必要最小限の交流の方が望ま
しいし、逆に人生や社会、自分の病状に打ちひしがれて、精神的にも癒されたいな
ら桃源郷のごとき手厚さは理想かもしれない。少なくとも私の今回の状況には、S
病院はよくマッチしていたと言えそうだ。


「元気になったつもり」
10月24日日 手術+11日

 最近は5時ころに目覚めることが多く、しばらくして2度寝する妙な習慣がついて
しまった。55.2kg少し持ち直す。昨日GXと三脚を届けてもらったので、朝の風景を
撮影している。5時ころだと夜景とあまり変わらないのだが、徐々に風景が変化し
ていくのが美しい。



昨日知り合った、70歳くらいの救急で入ってきたおっさんとよく会うが、愚痴ばか
りでしんどい。脳梗塞に似た症状で来たらしいのだが、現在はピンシャン。朝風景
の写真を撮っているところに来てもやはり愚痴。精神免疫学的にはよろしくない。
愚痴の多くは責任転嫁で、現状のまずい問題をまずいまま受け入れてしまうことだ
からだ。オアシスに集う人たちは、愚痴など誰ひとり口にしない。ルールのような
ものがあるのだ。
6時過ぎになったので表に出て写真撮影。今日は曇りで午後から雨の予報。明るい
日の差した写真もいいが、それでは能天気な印象になるかも。多少の曇天の方が戦
っている雰囲気が出るような気もする。庭をうまく収められない。もっと高い位置
から撮ればよいのかな。
外から撮影していたら、それが適度な運動になったのか、排便の予感→排便・・
ヨシ!
2日退院を延ばしてもらったが、もちろんその間に自主的に訓練しなければならな
いことは多いのだけれど、病院からのメニューもなくなり、なんとなく居心地の悪
い感じはある。
しかし明日朝には退院で、それ以降は、できることならここには来ないのだから、
やれることをしておかなければならない。もちろん闘病記を出すための資料も収
集しなければならんし。
10時にも快便。どうも気ままなようだ。独力で、便意を伴い、正しい排出感、残
量表示があって・・・。いくつかはあるのだが、感覚的にばらばらだ。こんなこ
と考えたことも無かった。小用はそれはそれで、立って勢い良くしようとすると、
排尿末期にかなりの痛みを伴う。座ってならその問題は無いのだが、おそらくは
内臓の位置関係や縫い痕の問題で、やはり時間がかかるのだろう。


過去の遺物 <おまけ>
 入院するとき、いや、何十年も前から見に行きたかったところに行ってみた。
隣の病院の研究棟だ。もはや役目を終えた存在なのかと思っていたら、最前線で
はないもののどうやら「生きている」ようだ。意外と建物周辺にはガードも無く、
立ち入ることができる(もちろん建物の中は無理)ようで、周囲をぐるりと歩き
回ってみる。(病院着のまま、そんなところを探検しちゃいかんだろ)



窓からは旧式の手術室なども見えているが、資料室と思われる部屋にはうずたか
くレントゲンフィルムがつっこまれ、空調やドラフターや減圧器も稼動していた。
どこかに膨大な量の、肺や病変した臓器の標本もあるのだろう。

  

  

何をやっているのだろう。
子供のころ、父の職場に行くと同じ匂いがしていた。そこで標本化されたばかり
の頭骨をリズミカルに叩く私の姿を見て、最初の音楽の先生のところへ連れて行
ったのだという。



知り合った患者の中には、隣の病院に入院していたことのある人がいて、その人
の言うには、上層階2フロアには「大変な状態」の患者が現在でも隔離されている
のだとか。スーパー結核なのか。どうスーパーなのだろう。がん細胞のみを滅ぼし
てくれるスーパーなら、すぐに入り込んで罹患したいと願うほど不健全な冒険だっ
た。医療と医学が混在しているとこんな匂いになるのだろうか。

 

そういえばインターロイキンの一つは、ここで初分離されたんじゃなかったか。

  

ついでに上から見たり地図を見ただけではよくわからなかった周辺の地理状況を、
歩き回って確かめることができた。府立大学の入り口までは行ってみた。スゴい
ところに建っているようだ。そこの地下って・・。

14時、キヨミが車で到着。今日は雨が降るので、自転車ではなく車になった。
明日退院なのだが、既に不要と思われるものは全て持ち帰る。キヨミと一緒に
隣の病院に、およそ同じコースで散歩したので(勿論、外出になるのだが、明
日退院ということもあり怒られるのを覚悟で)、結局、のべ3時間の歩行とな
った。その運動のおかげか、排便は極めて良好で、2日退院を延ばした成果は
あったと言えるだろう。キヨミがパン(食事指導に適合する内容の)を持って
きてくれ、デイルームで慎重に食べる。一昨日の階段昇降で両足のふくらはぎ
が相当に痛んでいたが、今日の歩行で、改善できたようだ。キヨミは19時半に
帰宅。明日は11時に退院。明日からは何とか早急に平常のペースに戻すつもり
だ。
排便などの訓練がある程度できるようになってみると、退院を前にその他の機
能についても正常なのか気になり、周囲が騒がしいこともあり、深夜に少しト
レーニング。あまりかんばしくないところへ、どういうわけか看護士さんが突
然カーテンオープン。いけないところを目撃されてしまった。機能チェックと
申し開くわけにも行かないし、気まずい。これも少しずつ訓練するしかないの
か。目撃されたことよりも「不調」なことがショックで、ますます眠れなくなる。
こんなことで新婚生活がおくれるのだろうか。男はこんなことが心配なもの
なんです!


「退院当日」
10月25日月 手術+12日
 
 昨夜は騒がしく、そんなこんなでなかなか寝付けなかった。騒がしいだけで
はなく、今日退院するからなのだが、一旦帰宅後に即座に出社し、現場復帰を
しようという計画だ。
7時ころに病院周辺を散策。昨日よりの雨で、オアシスのベンチもずぶぬれ。
空気も重くあまり爽やかとはいえないし、靴が浸水してきたので早めに7Fに
戻る。
8時になり最後の5分粥。ベビースタースペシャルではなくノーマルで食べる。
予定では10時くらいにキヨミが来て、清算などの退院手続きをとり、その後帰
宅なのだが、インフォームのときにがんの状態などの一連の資料の手渡しは退院
時に、というのを忘れないようにしなければいけない。今後の治療もこの病院
でするのか、どこかで治験を受けるのか、あるいは化学療法専門の機関に委ね
るのか、いずれにしても現状のデータが無ければ、話にならない。免疫活性を
高め維持する方針であることは決まっているのだが、インターロイキンにして
も、丸山ワクチンにしても他人の免疫を借りる点では類似で、結果的にはγグ
ロブリンと似たような(永続的な効果が得にくいばかりか、リバウンド状態
に陥ることも)状態になりかねない。どのような手法が編み出されつつあるの
か、勉強しなければならない。
そんなことを考えていると、10時になりキヨミが迎えに来た。キヨミが来る前
にほとんどの片付けや、知り合った患者さんや看護士さんへの挨拶は終わって
いる。
先に荷物を車に積み込み、清算・退院手続き。その後オアシスへいってくつろ
ぐが、切除したがん組織の生検の所見が後で渡される、という件を思い出す。
それっきりになっていることをスタッフステーションに言いに行く。しかし先
生が忘れているのか、受け取ることはできなかった。

一旦家に帰り風呂に入る。腹にかかる水圧が痛いが、やはり風呂はくつろぐ。
Nの到着を待って会社に向かうが、阪神高速がリフレッシュ工事中で通行
できず、結局1時間45分もかかってしまう。到着後、社長以下に簡単な報告と
挨拶。頑張って出社したものの思ったよりも体力消耗が激しく、思うように体
が動かない。雨降りなこともあり憂鬱な気分だが、O君(教え子、がんでは先輩)
からの依頼のAKG C414は即座にリペアできた。ひとつのタンタルコンデンサが
ショート状態になっていただけだった。
日付がかわるころ、散々な復帰初日の勤務を終えて帰宅し、入浴しようと脱衣
したら、抜糸後貼り付けられていた粘着テープがかさぶたとともに、パリパリ
と剥がれた。すかさず写真撮影。



大した苦しみも無く、無事に退院ができたが、これもK医師をはじめとした
病院スタッフ、見舞いに来てくれた多くの友人、何より入院中に妻となってく
れたキヨミの励ましのおかげであり、感謝したい。


10月28日木 退院+4日
 大学の授業を再開する。学祭が近いせいなのか、出席率が悪いし、手配して
いた演奏者が来ない。やはり3週間も休むと、荒れるのか。
月曜は仕事には行ったものの、息もきれぎれだったが、今日はそれほどでもな
い。美術学科へも挨拶と説明に行く。音楽学科長には退出寸前に会うが挨拶
などはできなかった。
やはり排便問題がもっと楽にならないと、復帰できたとは言い難いかもしれな
い。


10月29日金 退院+5日
 今日は自宅で休養。ごろごろしながら、日誌を公開に向けて整理しているが、
本日はあまり力まなくても排便できた。この調子が続きますように。

あまりこのような観察は書きたくないのだが、私は痔持ちではないし、便秘も
ほとんどしたことが無かった。しかし痔とは言えないものの、いつのころから
か冬場になると肛門はかさつき、ひどいときには周辺を含め鈍い痛みのような
感覚があった。この状態はある程度の運動や入浴など、その部分の血行が良く
なると緩和されることから、明らかに鬱血していたと思われる。これが冬の
憂鬱の一つ(もう一つは腰痛)だったのだが、術後は固有の術後痛が内部にあ
るものの、柔らかくしっとりと潤い、暖かさが自覚できるようになった。腫瘍
があったときにはこのような形でも問題が表れるのかなどと感じている。歳の
せいでも痔の兆候でもなかったわけだ。舌には胃などの内臓の状態が、網膜に
は脳の表面の状態が現れると言うが、腸の状態は肛門に表れるのかと考えると、
妙に納得できた次第。若返ったかのような気分だ。きっと専門医はそこを見る
だけでもある程度診断できるのでは。普段、自分では見えないところだが、見
ていれば自己健康診断できるのかとも思ったりする。しかしそんなまぬけな姿、
考えたくも無い。


11月3日水
 以前は立って排尿すると排尿末期に痛みがあったが、ここ数日で状態が反転。
座って排尿すると最後まで搾り出せない感覚があり、それ以上出そうとすると
痛みがあり、逆に立って行うとスムーズに最後まで排尿できる。一体どうなっ
ているのか。
相変わらず体力が戻らず、数時間仕事すると疲れて猛烈に眠くなる。講義をして
いても、自分の声に力が入らない(大きな声という意味ではなく)ことがよく
わかる。
 傷口の痛みはほとんど解消。排便はできているが、時間などが気ままなまま。
しっかり出そうとすると、鬱血したような痛みがしばらく続くが、出るだけま
しか。しばらくは時間をかける必要がありそう。それにしても自分のシモの問題
を考えるのにはもう飽きた。情けないやら恥ずかしいやら。でも贅沢な悩みだろ
う。前向きには「新しい体をエンジョイ」なんて考えるべきなのだろうが、前の
がいいよ。現状では2歳児なみだ。


11月6日土
 昨年フランスで大変お世話になったYさんとその友人が、明日のダライラマの講
演を聞きに大阪に来た。昼間は関西のルーブル「民博」と万博公園に、夕方から動
物園前で待ち合わせ。あまり観光名所も思い浮かばず、「新世界」界隈を歩き、結
局は「飛田百番」(旧?遊郭街にある、雰囲気のある居酒屋)。女性3人を引き連れ、
飛田の街並みを抜け百番にたどり着くが、予約のみで入れず。結局、飛田見物のみ
になったが、彼女たちには好評のよう。Yさんは現在、巨大加速器で有名なKEK
(高エネルギー研)に勤務。私の不調や入院が無ければ、今年のKEK見学会に行
き再会予定だったのだが、それが飛田散歩に化けたのかと思うと、複雑な心境。
もしPET-CTのお世話になる日が来るのだとしたら、どこの加速器で作ったPが注入さ
れるのだろう、なんてことを考えながら、この日は結局、天王寺でありきたりのお
好み焼きを皆で食べる。
へたりこむ寸前。

ここ3日、文章で引用したこともあり「白い巨塔」(唐沢版録画)を見直す。以前見
た時と自分の状況が変化したこともあり、異なる視点から楽しめた。本物の外科医
のシャドー・オペを見た後でドラマを見ると、唐沢版では繰り返しシャドー・オペ
(エア・オペ?)が出てくるが、そのアクションでは象かキリンの外科手術に見え
てきた。もちろん象徴的表現なので、そのくらいやらないといけないのだろうが。


11月8日月
 退院後初の検査。朝一番で再診受付し、血液検査。通常の成分検査+血算+血
液像+腫瘍マーカー。
総コレステロール241mg/dl、血糖値182mg/dlとそれぞれやや高めだが、これは
入院中相当落ちていたものが、通常レベルに戻ったもので、血糖値はジャムパン
食後すぐの採血のためか。
血算も赤血球数以外は正常値に戻っている。血液像はリンパ球%が19.4(1620/μl)
とやや低めである以外、正常値に。
最関心事の腫瘍マーカー(CEA、CA19-9)の結果は来週に持ち越し。異常な高数
値にならないことを祈るばかり。
 K医師と2人で血液検査のプリントアウトを無言で眺めているだけ。K医師は
総コレステロール値と血糖値にアンダーラインを引いている。これについて何
か言われたら、先生はどれくらいなのか聞いてみようと思っていたのに、そのチ
ャンスはやってこない。やや高いですね、というのみ。このチャートには項目が
無いが、LDL値は極めて低率なことをいつも別の検査で確認しているので、問題
ないっす。
それよりも血糖値の変動幅の方が問題っす。

その後手術痕を触指確認し、聴診器で内臓の動きを聴くが、嬉しそうに見える。
なかなかきれいです、とのこと。この手術痕は先生のものです。

今後のことについて、補助化学療法は受けないと答える。以後の通院サイクルは、
3ヶ月毎の血液検査(今日と同じメニュー)と造影剤静注によるCT撮影の繰り返し
とのこと。CTというと高レベルのX線被爆が気になるところだが、当分はこの検
査を避けられないようにも思える。最初から3ヶ月毎という判断は、ステージⅡの
臨床結果に基くのだろうが、それでよいのなら嬉しいことだ。それとも被爆量
から逆算しての3ヶ月毎なのか。

 次回の検査予定は年明けになるが、予約は来週決めることに。しかし、それも
来週の腫瘍マーカーの結果次第だろう。
切除した患部の病理所見を貰おうとしたら、それには病理の先生の許可が必要とか。
ではインフォームのときの「この書類は退院時に・・」というのはどうなったのだ
ろう。
ま、録音があるので内容はわかるのだが。(巻末注_病理所見と本人所見参照)

 そういえば、術前のこの半年以上のことだが、朝起床するとかかとから土踏
まずにかけて、ジーンとした痛みがあり、日によっては起床後しばらく歩きづら
いほどだったものが、退院したころから全くそのような症状は消失。ひょっとし
たらツボつながりだったのだろうか。不思議だ。


今後の問題(退院時に記述)
 単純には、転移の有無と再発の可能性であろう。
大腸原発性の場合には肝臓と肺への転移の可能性が高いそうだが、最初の診断
時には、CTで確認できるほどの大きさのものは見つからなかった。また翌日の
胃カメラにより食道、胃、十二指腸にも視認できる腫瘍は見つからなかった。
しかしこれ以外の臓器や脳は調査していないため、有無は現状ではわからない。
ある程度の診断目安として腫瘍マーカーがあるが、術後については11月8日の
採血・検査を待つしかない。また大腸内視鏡検査でも、閉塞のため全長の10%
も検査できていないが、残りの大腸は大丈夫なのだろうか。
 K医師も指摘していたが、「がんはがんを抑制する」という現象があるのだ。
これは私の場合のように大腸にあるがんが、(もしかすると)他のがんを抑制
している、あるいは、それらが相互に抑制しあい、バランスしていた可能性が
あることだ。
つまり片方のがんが切除などにより消失すると、残りのがんは抑制が無くなり、
一気に「花が咲く」こともあるのだとか。このような事態に対して、予防的意味
を兼ねて、「補助化学療法」があるのだが、本当に予防的効果があるのか。
あまり当てにならないのだとしても、腫瘍マーカーの結果を待ってから考慮し
たいものなのだが・・。


巻末注 がん保険のことなど
 冒頭で、がん保険に入ったことで心理的余裕が~という部分があるが、がん保険
をはじめとした各種の保険には、「免責期間」というものがあり、私の加入した保
険の場合、免責期間は加入後6ヶ月で、その間はがんの診断が出ても、保険の支払
い対象にならない。
加入したのが12月で寒く「つらい」季節で、免責明けが6月で暖かくなっていたため
つらさが軽減、余計に「まっいいか・・」になったものと思う。
 この闘病記を読み、がん保険に加入もしてから・・と考えている方は、この免責
期間をちゃんと考えてからスケジュールしないと、つらいことになります。その間に
進行したり転移したりする可能性も考慮しなければならない。それ以外に免責には
がんの進行度も含まれ、ステージⅠでは支払われないものもある。約款をよく検討
しよう。
また国民健康保険の加入は必携です。参考までに、私の場合で入院3週間+手術で
およそ150万円かかりました。国民健康保険加入者の場合、3割負担(約45万円)の
うち、一ヶ月の上限(約9万円)を越える部分は戻ってきますが、もしすべてを自
費で支払うとなると、多少のがん保険程度ではカバーできません。音楽家の皆さん、
十分に気をつけてください。
 参考までに、私が加入している保険は国保を除き、このがん保健が唯一のものだ。
10年前、この保健に加入するときに如何にひどい状態だったか想像に難くない。ま
た、こうなってしまっては今後は新たに加入もできない。いくつか入っておけば
よかったとは、後から思うことだろう。


巻末注 録音等
 今回の入院で使用した録音装置は、フラッシュメモリー(マイクロSDHCカード)
を記録媒体とし、品位は最大96KHzサンプリング、24bit、単3電池1本で10時間の
連続録音運用、高品位のXY形式指向性マイクを搭載した機種。
 容易な操作、小型で目立たないという特質を持っているが、インフォームや
診察時の録音や写真撮影は、毎回担当医師の許可を得て行っています。
もちろんメモを取る代わりという重要な役目があるのですが、無許可でこっそり
録音や撮影を行っては、相互の信頼などに多大な影響をおよぼすだろうし、
手際の悪い操作や運用は、わずらわしい印象を与えるでしょう。カバンからノー
トとペンを出すのと同じくらいの、素早さと確実さが必要です。どうせ入院中は
暇なのですから、ピストルの早撃ち(または刀の居合い抜き)よろしく、うまく
手順よく確実に操作できるように練習しましょう。
 このような用途にもZOOM社H1は最高の能力(48KHzfs/16bitモードを使用:あま
りに高品位で、聴き返し書き取りは極めて快適であった)を発揮してくれた。
(デモ機の提供に感謝(^^;))

参考までに設定の一覧を書くと、以下のように。
○Low cut:ON
○Auto level:OFF
○Rec format:WAV / 48KHzfs 16bit
○録音レベル:80(で固定)
○自作のストッキング製風防を使用
○純正オプションと同等の小型3脚を併用(マイクをきちんと音源方向に向ける)
○モニターイヤホン等は使用しない 
☆電池一本で、入院中の全録音はまかなえそうだが、必ず予備の電池を用意。

旧来、録音レベルはメモ録音の場合オートレベルを使用したり、レベルメーターを
見ながら最適レベルを模索したりするものだが、現在の高S/N比(ノイズの少ない)
の録音機では、十分に余裕のある(歪まないように低めに)録音レベルに設定して
おき、再生時にレベル正規化(最適レベルにすること)し利用する。S/N比の悪い
録音機や、記録媒体そのものにノイズのある旧来の録音システムでは、レベル正規
化するとノイズが増加し聴くに耐えないが、現在の録音システムではこの問題は、
正しいステップを踏む限り生じません。(このサイトに詳しい論証があります)
通常の静かな室内で、普通の会話を1~2mの距離で録音する場合、録音レベル設定は
H1の場合では70~80で固定での録音が適切となります。

カンファレンス室や診察室に入る前に録音機を起動し、医師に録音許可を貰ったら
録音ボタンを押すだけにしておく。録音レベルを確認する時間などありません。
せいぜい「回ってるか否か」をカウンターで確認する程度でなければ、「煩わしい」
印象を与えてしまいます。ZOOM社H1はHシリーズの中でも、とくにこのような運用に
適する設計になっているようだ。(ただし起動に要する時間は、メモリーカードの
容量に比例するので、あまり大容量のカードを実装すると、多少起動が遅くなる傾
向がある。8GB程度までだろうか・・8GBで起動に12秒かかる・・附属の2GBカード
では6.5秒)
*utsunomia.comの本来の掲載内容は、このような「録音」に関わる部分に詳しい。

巻末注 病理所見と本人所見
 結局のところ、切除した患部の病理所見は説明を受けただけで、書類は貰えなか
ったので、説明されたときの録音物から聴き取り記述する。

組織系:中分化腺がん・進行がん(漿膜下層まで・筋固有層は越えている)

浸潤の度合い
リンパ管腫(浸潤):なし(サンプルについてのみ)
リンパ節浸潤(1~3群):なし
静脈浸潤:なし
摘出断端部分の浸潤:なし(両端とも)

本人所見(ほとんど妄想だろう)
 私のケースの特異性について、医師から取り立てての説明はないが、あまりに長
い飼育期間とこの浸潤の度合いは不条理で、医師の弁によれば、とっくに死んでい
るはずなのに・・しか聞けない。しかし、病理所見からは、自己の免疫系による浸
潤の抑制が、ある程度持続していたことは明らかで、何がその原因なのか推測する
ことは無意味ではないように思える。
 冒頭の既往歴で触れているように、一般的な免疫と私個人の免疫の違いの一つが、
麻疹に対する生涯免疫形成が不完全なことがある。この問題を麻疹発症時に医師に
質問するのだが、毎度、前回が不完全でも、今回の罹患で形成されているはず
です、という答えしか帰ってこない。しかし幾度と無く(医療機関に行ったのは
2回だが)発症していることを考えると、やはり相変わらず不完全なまま今日に至っ
ている可能性はある。
 疫学的には結核免疫の癌抑制効果のようなものが知られているが、麻疹との関連
はどうなのだろう。もちろん結核は桿菌、麻疹はウィルスが原因で何らの関わりも
無いが、麻疹に対する免疫系の対応は激しい発熱で、この対応ががん細胞への貧食
に加わることで強い抑制を発揮したりしないのだろうか。多くの場合がん細胞は、
正常細胞よりも熱に弱いとも考えられているし。BCG注入のように、ある程度弱毒
化した麻疹抗原を、直接にがん患部に注入しても効果は得られないのだろうか。
他にもいくつかの条件が必要なのかもしれないし、そもそも全く無関係なのかもし
れない。(麻疹では白血球数は大きく減少するらしいので矛盾だが)
 振り返ってみると、私の場合当初より出血は慢性的で量も多かった。これも幸運
だったのかもしれない。がん細胞は新たに動脈を新造し続けるらしい(エネルギー
を獲得し、生きながらえるため)が、静脈などのドレイン新造にはあまり関心がな
いらしい。
エネルギーや自己の増殖部品は動脈血から得ているわけだが、励起物質や感染
力のある細胞片がどこへ排出されるかが問題で、患部が消化管終端に位置し、汚染
血液やリンパ液が、そのまま体外に排出されていることで、静脈流やリンパ流に流
れ込む割合は低下していたのではないかとも思える。これらの感染力のある細胞片
や励起物質が肝臓や肺に向かわなければ、それらの臓器に転移はしない。

 私のケースが月並みなものか、特異なものなのか、自分では判断しかねる部分で
はあるが、もしそれが稀有なもので、この分野の発展に寄与するものであるなら、
血液サンプル提供程度の協力にはやぶさかではない(公的研究機関に限る)。コン
タクト下さい。(コンタクト先はutsunomia.comのコンタクトにあります)


巻末注 音楽家の死生観
 非常に説明が難しいことなのだが、まっとうな音楽家は多くの場合、ある種の
死生観を持っているものである。また、この死生観はどこかで教えられたものでは
なく、自然と身に付けるもので、怪しい宗教ではない。
音楽家は、そのコアの部分では神(適切な単語が見当たらないので、便宜上この語
を当てる)との契約(契約は西洋的な概念で、約束あるいは取り決めでも可)で、
その職を与えられる。(人によっては神自体やその使いが、ある日突然に契約書を
持ってくるという、、また別の者は、ある日目覚めると神の刻印がどこぞに押され
ていたと、ときに語を代え「悟り」とも・・・スゴいな)
 音楽はその学問部分を除外し、全ての場合に過酷な肉体改造を要求される。楽器
の習得は言うに及ばず、単に聴き取り思考判断することでさえ半端ではない訓練が
必要とされる。結果として得られる能力は、もはや「超能力」とも言えるレベルに
まで到達することもあり(もちろん選ばれた者にのみ)、この点に関しては学問の
及ぶところではない。
 ところがこの能力、勝手に授かれるものではなく、他人には言えない(説明でき
ない)「神との取り決め」によって得ている(あるいは単にそう信じているだけ・
・客観的にはどちらでも同じ)ことが多く、その取り決めの中には「命の保障」
のようなもの(保障といっても医療サービスでも長寿の確約でもないし、説明は
難しい・・敢えて言えば「死をも超える幸福」のようなもの)が含まれている。と
ころが、この取り決めは現役の音楽家についてのみ有効で、サボっていたり引退後
には適用されない。そう、自分の大切な役目の真っ只中で、医療サービスを享受す
ることは一歩間違えば「適用外」になりかねないのだ。そもそも肉体改造の前に人権
など存在しないし、能力を得てからの後戻りもありえない。また適用外はまだマシ
な方で、ときに取り決めの不履行はこの能力の返上をも余儀なくされる。これが死
よりも恐ろしい。
 ここで歴史的な事実を列記してもしょうがないが、これが傍目にいう音楽家の「命
を架ける」ということに相当している。この範囲において、音楽家は死を恐れない。
子供には理解しづらいだろうし微妙にニュアンスが異なるが、「アリとキリギリス」
はなかなか的を得ているわけだ。キリギリスだからといって絶滅させられるわけで
はない。アリと違うだけだ。


「宴会はこちら、または喉元過ぎたら・・人生はつらい、がその分楽しい!」
11月15日

 あいかわらず体力は戻っていない。宙を歩くよう。
 先週8日の血液検査の腫瘍マーカーCEAとCA19-9の結果と、次回の検査予約をしに
S病院へ。
結果はCEAは2.8ng/ml、CA19-9は2U/ml以下。術前9月24日のCEAは30.3ng/ml、10月4
日のCA19-9は19U/mlなので、相当に減少している。あまりあてにはならないと言う
ものの、CEAでは腫瘍規模に比例することから、手術によりうまく取り除けている
ことが伺える。CEA数値は減衰に時間がかかり、仮に完全に問題が除去できていても
数週間から数ヶ月かけて低下していく。また私は喫煙趣向があり血糖値ピークも高
いためCEAは0ng/mlにはならないかもしれない。
CA19-9は「以下」が付いており、定量的検出限界であることを示している。定性的に
は「ある」が。
私も小躍りしたいほど嬉しいし、気のせいかクールなK医師も微笑んでいるように
みえる。
私は入院したてのころは、世間の相場のわかっていないわがまま放題な放蕩患者だ
ったが(それは今も変わりないが)、退院してから自分が受けられた医療やその対
応の素早さを思い知り、少しばかり反省している。今日の結果を知った後で、再び
アップされている闘病記を読み漁ったが、医療機関でたらいまわしになったり、診
断確定に異様に手間取ったり、また受けることのできた医療の質も様々なものがあ
ることがよくわかった。このテキストに記述した「観察」は多少の脚色はあるもの
の、正確を旨としたもので、読者の選択肢の一つになればと思っている。
 
 まだまだ「これから先」があることは百も承知だが、今日は私にとって一つの
節目となった。あー楽しかった!!さあ、パーティーだ!!!!!

 

 S病院スタッフやK医師は多くの場面で、快く録音や写真撮影に応じていただけ
たが、上記のようにまだまだ保守的で秘密主義かつ開示には応じない医療機関も
多いようだ。この点S病院ではセカンドオピニオンをはじめ、それらにきちんと対
応できる体制と自信があるようにも感じらた。もし不幸にも保守的な対応に苦しめ
られている方に相談されたら、推奨できる病院として挙げたい。少なくとも「告知」
や決断でぐだぐだしている医療機関には、さっさと決別すべきだ。
がんにそんな暇は無い。